T-72ベース説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 06:32 UTC 版)
「北朝鮮が1990年代にソビエト連邦からT-72を約300輌入手し(仮に事実だとしてもモンキーモデルのT-72Mだと思われる)、平壌を中心とした二個戦車師団に配備した」、もしくは、「北朝鮮がソ連時代にT-72のライセンス生産の許可を得て、1991年から大量生産した」、との未確認情報がある。しかし北朝鮮がT-72を、ロシアから購入したり、ライセンス生産をしたという確証はない。一説には北朝鮮は、在韓米軍のM1A1や韓国陸軍のK1に対抗するために、ソ連にT-72の供与を求めたが、T-72の技術が北朝鮮経由で中国に流出することを恐れたソ連に断られたとも言われている(しかし結局中国は別ルートでT-72を入手し、国産戦車開発の参考としている)。 上記に基づく推測では、オムスク視察の後、北朝鮮の第二機械工業設計局でT-72を基にしたと推測される新型戦車の開発が始まったとされる。 聯合ニュース2010年8月17日付けによると、「韓国の情報当局は、北朝鮮は1990年代末まで「T-62」と「天馬号」を独自に生産し、前方地域や平壌一帯に集中配備したと把握している」とある。上記の「T-72を1990年代に入手もしくはライセンス生産」「T-72を平壌中心に配備」という説は、この聯合ニュースの報道と同じ情報の中の「T-62」と「天馬号」をT-72と錯誤したものと思われる。 このように北朝鮮は(戦力としては)T-72を保有していないという言説もあったが、北朝鮮映画「一生涯人民の中で」の9作目にて不鮮明ながらも写っており、少なくとも1輌のT-72を保有していたことが、2020年に判明している。イラン・イラク戦争中(1980年~1988年)にイラン軍によって鹵獲されたイラク軍の損傷したT-72(おそらく輸出型であるオブイェークト172M-E1/2)が、イランから北朝鮮に供与された可能性が高い。入手時期は1985年~1992年の間(1988年以降の可能性が高い)と推測される。 このT-72が、北朝鮮の新型戦車がT-62をベースとしつつも、その開発の参考資料になった可能性がある(類似例に、ソ連から鹵獲したT-62を参考資料に、59式戦車(=T-54A)をベースに改良して、69式戦車(=T-62そのもののコピーではない)を開発した、中国の例がある)。
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