SEWA労働組合
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バットはこうした女性の労働条件を改善するためにはまず労働組合を組織しなければならないと考え、1971年12月に繊維労働者組合の会長アルヴィンド・バックの協力を得て、繊維労働者組合の女性部の主導により、労働組合「自営女性労働者協会 (SEWA)」を設立。翌1972年に1926年インド労働組合法に基づく正式な労働組合として登録された。アルヴィンド・バックが初代会長を務め、バットは1996年まで書記長を務めた。SEWAは順調に発展を遂げ、創設3年でアフマダーバードの自営女性労働者5,258人が加入し、4年目には9,000人に達した。さらに、バーヴナガル(グジャラート州)に機織り職人のセンターが開設されると、機織りの女性2,000人が加入し、宗教的・文化的に異なる部族の女性の連帯につながった。1983年には国際食品関連産業労働組合連合会に加盟した。これは、非正規労働者が労働組合運動において初めて労働者として認められたことを意味した。SEWAの最終目標は女性の完全雇用と経済的自立であり、現在、インド14州(2014年2月現在で組合員1,732,728人)と他の南アジア諸国(スリランカ、ブータン、ネパール、バングラデシュ、パキスタン、アフガニスタン)で活動を展開している。
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