PUPからXNSへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 03:00 UTC 版)
「ゼロックス・ネットワーク・システム」の記事における「PUPからXNSへ」の解説
Pupが完了するずっと前の1975年までに、メトカーフはすでにゼロックスの厳しい経営陣の下で苛立っていた。 メトカーフは会社がすぐにイーサネットを生産すべきだと考えていたが、上層部の間でほとんど関心を示さなかった。 1974年、マサチューセッツ工科大学(MIT)の有名な人工知能研究所(AIラボ)の教授たちが、研究室で使用するためにイーサネットを購入したいとゼロックスに打診したことがきっかけで、重要な出来事が起こった。 ゼロックスの経営陣は、イーサネットは自社の機器の販売するために使用する方が良いと考え、拒否した。 AIラボはその後、独自のバージョンのイーサネットであるChaosnet(英語版)を作ることになった。 メトカーフは最終的に1975年11月にゼロックスを退社し、シティバンクの先進的な製品開発を担当する部門であるトランザクションテクノロジに就職した。しかし、その7か月後に彼がゼロックスに戻ってきたのは、PARCのコンセプトを市場に投入するためにゼロックス内にシステム開発部門を組織したばかりのデビッド・リドル(David Liddle)(英語版)によるものであった。 メトカーフはすぐにイーサネットを20Mbit/sで動作するように設計し直し、Pupを製品品質のバージョンに書き換える努力を始めた。 メトカーフはPupの助けを求めて、当時スタンフォード大学のヴィントン・サーフ(Vint Cerf)の下で論文を書き終えていたヨギン・ダラル(Yogin Dalal) (英語版) に声をかけた。 ダラルはまた、ボブ・カーン(Bob Kahn)のARPANETチーム (TCP/IPの研究をしていた)にも激しく勧誘されていたが、サーフがDARPAに移籍したため、ダラルはPARCに移ることに同意し、1977年にPARCで働き始めた。 ダラルは、ウィリアム・クロウザー(William Crowther)(英語版)とハル・マレー(Hal Murray)を含むチームを作り、Pupの全面的な見直しから始めた。 ダラルは、DARPAで進められていたTCPの取り組みに関与しようとしたが、最終的には断念し、Pupに専念した。 ダラルはARPANETでの経験とPupのコンセプトと組み合わせ、1977年末にはXerox Network Systemの仕様書の最初のドラフトを発表した。 これは基本的には、Pupにソケットとインターネット・ネットワークの概念を加えたバージョンで、ルーターが接続されたネットワーク間でパケットを転送できるようになっていた。 1978年初頭までには、新しいシステムは機能してたが、経営陣はまだそれを商業化するための動きをしていなかった。 メトカーフはこう語っている: 私が1976年にゼロックスに戻ったときには、製品出荷から約2年半、1978年には製品出荷から約2年半が経過していた。 それ以上の行動が見られなくなったとき、メトカーフは1978年末に会社を退職した。
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