PCL・東宝の美術監督時代
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「久保一雄」の記事における「PCL・東宝の美術監督時代」の解説
1934年より美術監督として多くの作品に携わる。この頃、各撮影所の枠を超えて小池一美ら映画美術担当者が交流するなかで開催されていた研究会に参加。 1938年、第8回独立美術協会展に初入選、以後も出品。 1939年4月9日、東京都内で各撮影所・フリーの美術家30名が出席して開催された『日本映画美術監督協会』設立会合に参加。 この時期に美術を担当した主な映画作品1934年……『浪子の一生』、『エノケンの魔術師』(以上、PCL) 1935年……『妻よ薔薇のやうに』(PCL) 1936年……『歌ふ弥次喜多』、『吾輩は猫である』、『彦六大いに笑ふ』、『エノケンの江戸っ子三太』(以上、PCL) 1937年……『良人の貞操 前篇』、『良人の貞操 後篇』、『日本女性読本』、『人情紙風船』(以上、PCL)、『新選組』(PCL=前進座) 1938年……『瞼の母』、『エノケンのびっくり人生』(以上、東宝映画東京) 1939年……『エノケンのがっちり時代』、『樋口一葉』(以上、東宝映画東京) 1940年……『エノケンのざんぎり金太』、『エノケンの誉れの土俵入』(以上、東宝映画東京) 1941年……『新編 坊っちゃん』(東宝映画東京)
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