MPV(=ミニバン)の祖先
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/11 23:37 UTC 版)
「トヨタ・MP-1」の記事における「MPV(=ミニバン)の祖先」の解説
1960年代末期から1970年代前半の石油ショック以前までは日本でも高度成長期がある程度達成され、また米国の影響を受け国もレジャーに向けた施策を打ち出しはじめたところで、自動車業界でもレジャー用車両が登場してきた頃である。すでに国内の軽自動車ではスズキジムニー、バモスホンダなどレジャー用車両が登場、1973年の東京モーターショーには三菱自動車工業が「三菱ジープ・パジェーロ」を参考出品している。のちのパジェロの原案となった車である。ところが、この年の12月に第一次石油ショックが起こり景気は急落。この影響で翌年1974年のモーターショーは中止された。 このような状態の中再開されたモーターショーに参考出品されたMP-1であったが、先に述べた内容からその完成度はかなり高かったと報じられている。この車両は乗用車以外でも法人向け、高級タクシーなどに対応できることを目的として設計されていたという。 ヨーロッパではクライスラーが1967年からミニバンの開発を手がけており(このモデルは紆余曲折を経て最終的にはルノー・エスパスとして1984年発売)、1977年には、イタリアのランチアがガンマをベースにしたミニバン『メガガンマ』を発表した。国内では三菱自動車工業が1979年の第23回東京モーターショーでSSW(スーパースペースワゴン)として参考出品し、これは1983年に三菱・シャリオとして発売された。また、日産自動車では1982年にプレーリーを発売。現在ではこの2車種が『国産ミニバンのパイオニア』として呼ばれることが多い。 一方トヨタは1981年の第24回東京モーターショーには多目的4WD車両「RV-5」を参考出品し、翌年スプリンターカリブとして発売。全車4輪駆動という当時としては異例のラインナップからクロスオーバーSUVのパイオニアと呼ばれた。同時期、キャブワゴンベースとしたワンボックスカーブームが起こっており、トヨタ車ではタウンエースがその一役を担うこととなった。 トヨタが本格的にミニバンを市場に投入したのは1990年のエスティマからとなる。ただし当初は売れ行きが悪く、ミニバンが本格的に市場に受け入れられるのは1994年のホンダ・オデッセイの大ヒットを待つこととなる。
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