M☆Pシンデレラ時代
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1993年9月、TBSラジオ主催の「第1回シンデレラドリームオーディション」に当時最年少の15歳(中学3年生)で合格。10月からスタートした同局の深夜番組『シンデレラドリーム ミッドナイト☆パーティー』(以下M☆Pと略す)でデビューした。番組開始当初はレギュラーメンバーには加わらなかったが、11月13日に当時のTBSホールで行われた第1回の番組主催イベントで自ら特技としていた童歌を唄ったことが評価され、M☆Pのパーソナリティ仲間だった坂井美唯子らとともに「歌うシンデレラ」に選ばれた。 1994年3月、当時のM☆Pリスナーからの強い要望で、自分より年上のメンバーたちを抑えて月曜深夜2部(26:00 - 27:00)担当に抜擢された。中学生が全国ネットの深夜帯番組のレギュラーパーソナリティを務めるのは異例のことであった。最初の数か月は毎週日曜日に番組収録が行われたが、実家のある京都から東京まで新幹線で毎週通っていたという。 1994年夏に生活拠点を関東に移し(通っていた高校も転校した)、10月にシングル「大切」(ビクターエンタテインメント)で歌手デビューを果たした。所属事務所もヤザ・パパに決まり、M☆P以外の芸能活動もこなすこととなる。自らの主催イベント「TOMATOスタジオ」(トマトが好物であることからそのタイトルがつけられた)が行われるようになった。さらに松宮麻衣子は、M☆Pのシンデレラの中でも一番の人気者となり、幅広い年齢層のリスナーに支持された。 1995年4月からM☆P月曜深夜1部(24:00 - 26:00)担当に昇格。6月にはセカンドシングル「風の唄」が発売された。7月にはテレビ朝日系『はなきんデータH』やMBSテレビ『エリアコードドラマ06「FM999〜真夏のレディオガール」』(奥山佳恵主演)といったTBS以外の番組出演や女優デビューも果たした。また週末になると東北から九州の地方のラジオ局の公開放送のゲスト出演もこなした。このころからラジオパーソナリティ、歌手、作家、女優などいくつもこなすことから“スーパー女子高生”と呼ばれるようになった。 1995年10月6日に終了したM☆Pの後継番組『ウィークエンド・ミッドナイト☆パーティー』では、「松宮麻衣子のあのねそれはね」と題する20 - 30分間のミニコーナー(録音)を担当した。
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