JGTC / SUPER GT
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:54 UTC 版)
「ホンダ・NSX」の記事における「JGTC / SUPER GT」の解説
1996年からは、市販車レース国内最高峰の全日本GT選手権 (JGTC) に参戦を開始した。参戦初年度はル・マンGT2車両を使用したが、翌年よりN-GT車両を使用した。そして、2000年にはGT500クラスで(ドライバーは道上龍)、2004年にはGT300クラスで(ドライバーは山野哲也/八木宏之)年度チャンピオンを獲得しているが、ミッドシップ車に対しての不利なレギュレーションに悩まされて、その後は良い結果が残せなくなった。2004年のGT500クラスには、それまでのC32B改に代えてC30Aにターボを装着したエンジンを投入したが、結果としてマシンの重量バランスが崩れる・冷却系のレイアウトに無理が出るなどの問題を抱え不振に終わり、2005年のシーズン途中にはエンジンを元に戻すことになる。当時の開発リーダーだった白井裕(後に日本レースプロモーション社長)は「エンジンをターボ化するという私の判断が間違っていた」と自らの非を認めている。 選手権の名称が「SUPER GT」となった2005年よりベース車両を「NSX-R GT」に変更した結果、コンスタントに優勝を飾るなどして復調のきざしが見え、2007年には再びGT500クラスで年度チャンピオンを獲得した(ドライバーは伊藤大輔/ラルフ・ファーマン)。また、同年の開幕戦(鈴鹿サーキット)の公式予選にて伊藤大輔が1分49秒842を記録し、それは2014年に車両規定が大幅に変更されるまで更新されることは無かった。しかしそれ以降は再度不利な状況が続き、2009年を最後にSUPER GTから撤退することが表明された。RAYBRIG NSX、ARTA NSX、KEIHIN NSX、TAKATA 童夢 NSX(2009年シーズンのみROCK ST☆R 童夢 NSX)、EPSON NSXなどのマシンでホンダは出場してきたが、2010年からは、新型車両「ホンダ・HSV-010」で参戦することとなった。
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