J・J・キルロイ説
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有力な説のひとつに、アメリカの造船所で働いていた検査官「ジェームス・J・キルロイ」が起源というものがある。第二次世界大戦中、彼はマサチューセッツ州クインシーのベスレヘム・スチール、フォアリバー造船所で、検査したリベットにチョークでつける印としてこのフレーズを用いたと言われる。工員は据付けたリベットの数に比例して賃金が支払われたため、印を消して二度カウントされようとする画策が横行した。キルロイは対抗上消しにくい黄色のクレヨンを用いるようになり、このサインは時が経過してもなかなか消えず残る結果になった。この頃、船は細かな箇所までは塗装されず軍に納品されていたため、特に通常は封鎖された区域などに整備のため立ち入った軍人たちは、殴り書きされた謎の署名を見つけるに至った。その多さと不可解性から、軍の中で「キルロイ」と彼のフレーズは一種の伝説として形成されたと思われる。そして、進駐地や作戦などで到達した場所にこのフレーズを残したと想像されている。 ニューヨーク・タイムズは、1946年頃に船を建造した印としてキルロイが残したサインであるとの記事を掲載した。その根拠として、封鎖区画など後に落書きをしようとする輩が決して立ち入ることが出来ない場所にあることを強調し、誰かに見せる目的で記したものではないと説明した。 1946年、アメリカの運輸会社が「キルロイ」なる人物を見つけた者に路面電車1台を賞品として探すイベントを開催した。J・J・キルロイは職場の同僚にかつぎ出されて名乗り出たが、応募した他の40人ともども本物の「キルロイ」と証明する術は彼には無かった。それでも賞を授与されたが、J・J・キルロイはたまたま家の前で遊んでいた9人の子供たちに賞品を譲り渡した。 Michael Quinion はこの「キルロイ」のフレーズと、別な発祥を持つ「チャド」の落書きが混ざり合い、現在多く用いられる図柄になったと主張している。この「チャド」は出典がはっきりしており、第二次世界大戦前のイギリスの漫画家、ジョージ・エドワード・チャタトンによる創作とみなされている。戦争中の物資や配給不足を皮肉り、壁の向こうから「なんでまた…が無いの?」「一体…はどこに?」とつぶやく図はイギリスでは広く知れ渡ったものだった。戦後の1950~60年代には広告に用いられる例もあり、屋内トイレ設置工事のポスターに「なんでまた家の中にトイレが無いの?」というコピーとともに使われたりもした。 この異説としては第二次大戦中のデトロイトにあった弾薬製造所に勤めたキルロイが、やはり完成した爆弾にこのセリフを書き込み、これが戦争中に広まったというものもある。
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