Hermann Goetzとは? わかりやすく解説

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ゲッツ

【英】:Goetz, Hermann (Gustav)
[ドイツ]  1840~1876

2008年8月 執筆者: 齊藤 紀子

 ドイツ作曲家当初神学志しケーニヒスベルク大学学んだが、その後音楽転向しベルリンシュテルン音楽院にてシュテルンビューロー師事した正式な音楽教育受けたのは17歳時のことであった在学中から自作ピアノ協奏曲評価されている。ライネッケ推薦得てヴィンタートゥーアオルガニスト合唱指揮者務めると同時にピアニスト作曲家としても音楽活動行った後年結核患い音楽教授作曲専念するうになる新聞への音楽批評執筆始めたのはこの頃のことである。代表作として、オペレッタの《じゃじゃ馬ならし》(1872)、《ピアノ協奏曲 変ロ長調 作品18》、ブラームス献呈した《ピアノ四重奏曲 作品6》が挙げられる

ピアノ独奏曲

ピアノ合奏

室内楽

管弦楽ピアノ


ヘルマン・ゲッツ

(Hermann Goetz から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/05 09:52 UTC 版)

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ドイツの政治家 Hermann Götz (1914-1987) は別人

ヘルマン・ゲッツ

ヘルマン・グスタフ・ゲッツHermann Gustav Goetz, 1840年12月7日 ケーニヒスベルク - 1876年12月3日 チューリッヒ近郊ホッティンゲン)は、ドイツ人作曲家ベルリンに学んだ後、1863年スイスに転居。音楽評論家ピアニスト指揮者としての活躍に加えて、創作活動を行なった。

生涯

商人の子に生まれ、早くから音楽に親しむ環境に育つが、本格的なピアノの教育を受けたのは1857年になってからだった。しかし、作曲はそれより数年前から始めていた。1850年代の終わりになって数学で学位を取得するため準備に入るが、それを中座してベルリンのシュテルン音楽院に進学し、ピアノをハンス・フォン・ビューローに師事。1862年に無事卒業することができた。翌年、カール・ライネッケの助力のおかげでヴィンタートゥール市のオルガニストに採用され、その地でピアノ教師としても活動を始め、作曲家としても名を揚げるようになる。1868年に結婚してホッティンゲン(現在はチューリッヒ郊外)の集落に移るが、1872年までヴィンタートゥールに雇われていた。1870年から1874年まで音楽雑誌に批評を寄稿した。

1850年代から持病の結核に悩まされていたが、最晩年にはその悪化により教壇や演奏活動から引退し、ついには結核のために夭折した。

作品と音楽様式

ゲッツは、交響曲と単一楽章のヴァイオリン協奏曲、2つのピアノ協奏曲、たくさんのピアノ曲、ピアノを含んだいくつかの室内楽曲を遺した。シェイクスピア原作のオペラじゃじゃ馬ならし》のほか、ダンテの原作によるオペラ《フランチェスカ・ダ・リミニ》の作曲を進めていたが、誕生日を目前にした急死により、その遺稿はスイスの作曲家エルンスト・フランクの手により完成された。

ゲッツはメンデルスゾーンシューマンの流れを汲む穏健なロマン主義の作曲家であった。ブラームスビューローと親しく、その支持を受けた。当時は、フランツ・リストリヒャルト・ワーグナーらの新ドイツ楽派が優勢であったが、ブラームス同様にウィーン古典派の伝統に心酔し、伝統的な音楽観のもとに作曲活動を続けたため、これ見よがしの効果をほぼ完全に避け、作曲技法の習熟を創作の特徴とした。ゲッツ作品は、抒情性と明晰さが際立っている。

グスタフ・マーラーが作品の数々を指揮したとはいえ、永年にわたってゲッツの名は忘れられてきた。その重要性が見直されるようになったのは、1990年代になってからのことである。ゲッツは決して新音楽の急先鋒ではなく、むしろ作曲技法を完全に操作できる作曲家であった。その作品は高水準を保っており、ゲッツを過小評価することが正しくないことを裏付けている。

主要作品一覧

  • 管弦楽曲
    • 交響曲 ホ短調 Symphonie e-moll (1866年、断片のみ伝承)
    • 交響曲 ヘ長調 作品9 Symphonie F-Dur (1873年)
    • 演奏会用序曲《春》作品15 "Frühlingsouvertüre" (1864年)
    • ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 Klavierkonzert Nr.1 Es-Dur (1861年、作品番号なし)
    • ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品18 Klavierkonzert Nr.2 B-Dur (1867年)
    • ヴァイオリン協奏曲 ト長調 作品22 Violinkonzert G-Dur (1868年)
  • 歌劇
    • じゃじゃ馬馴らし "Der Widerspenstigen Zähmung", (1868-73年)
    • 未完オペラ《フランチェスコ・ダ・リミニ》 "Francesca da Rimini" (1875/76年)
  • 声楽作品
    • 合唱とソプラノ・管弦楽のための《詩篇 第137番》作品14 "Der 137ste Psalm" (1864年)
    • フリードリヒ・シラーの詩による《哀哭の歌 "Nänie" 》作品10 (1874年)
    • 歌曲
    • 合唱曲
  • 室内楽曲
    • ピアノ三重奏曲 ト短調 作品1 Klaviertrio g-moll (1863年)
    • ヴァイオリンとピアノのための《三つの易しい小品》 "Drei leichte Stücke" für Violine und Klavier (1863年)
    • 弦楽四重奏曲 変ロ長調 Streichquartett B-Dur (1865/66年、作品番号なし)
    • ピアノ四重奏曲 ホ長調 作品6 Klavierquartett E-Dur (1867年)
    • ピアノ五重奏曲 ハ短調 作品16 Klavierquintett c-moll (1874年)
  • ピアノ曲
    • 2つのソナチネ(第1番ヘ長調、第2番 変ホ長調) 作品8 Zwei Sonatinen (1871年)
    • "Lose Blätter" op.7 (1864-69)
    • 風俗画 作品13 "Genrebilder" (1870-76)
    • 4手のためのピアノ・ソナタ ニ長調 Sonate für Klavier zu 4 Hdn. D-Dur (1855年ごろ)
    • 4手のためのピアノ・ソナタ ト短調 作品17 Sonate für Klavier zu 4 Hdn. g-moll (1865年)

外部リンク・参考文献



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