大アルバニアとは? わかりやすく解説

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大アルバニア

(Greater Albania から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 04:55 UTC 版)

大アルバニア(だいアルバニア、アルバニア語:Shqipëria e Madhe[注釈 1]とは、アルバニアの民族主義者によってアルバニアの本来の領土として主張されている地域。歴史的、あるいは現在のアルバニア人の分布がその主張の根拠となっている。この用語は、アルバニア内外にまたがって分布しているアルバニア人の居住地域を統一し、アルバニアの領土とする大アルバニア主義の願望を表している。アルバニア人の間では、「民族的アルバニア」とも呼ばれる。


注釈

  1. ^
    "as Albanians continue mobilizing their ethnic presence in a cultural, geographic and economic sense, they further the process of creating a Greater Albania. "
    [1]
  2. ^
    チャメリア人問題が国際化する現象において、イギリスの関与があったのではないかと考えられている。たとえば、ギリシャ民族共和同盟の指導者Col. Napoleon Zervasは、1943年から1944年にかけての反チャメリア人の動きにおいてイギリス特殊部隊(C. M. Woodhouse)の指揮下に行動していたと考えられている。Woodhouseは自らの行動を擁護し、イピロスでの民族間の衝突、および他のギリシャのレジスタンス組織との抗争があったことを主張し、共産主義者に支配されたELASの2つの民兵師団がエピルスで同盟を結び、それによって1944年のアテネの戦いにおいてイギリスのスクービー(Scobie)将軍率いるイギリス軍を敗戦から救ったとした[5]
    [1]
  3. ^
    チャメリア人の議論の試みにもかかわらず、2004年10月中旬のアルバニア訪問において、ギリシャ大統領コンスタンディノス・ステファノプロスはニュース番組に出演し、チャメリア人問題はギリシャには存在せず、チャメリア人やその他のギリシャの少数民族が訴える財産補償要求はすでに終わった話であり、過ぎ去った歴史に属するとした。「チャメリア人問題を解決する必要性があるか否か私には分からないが、私の考えではこれは解決する必要はない」と同大統領はこのように述べ、「双方の主張はあるとしても、これらに立ち戻ってはならない。チャメリア人問題など存在しないのだ」とした。ステファノプロスの述べた「双方」とは、現在アルバニア南部に属する「北イピロス」(アルバニアに属する北部イピロス地方のギリシャ人地区)に対するギリシャ側からの主張のことを指している。
    [5]
  4. ^
    チャメリア人の活動はギリシャを防御姿勢に入れるに十分であった。ギリシャは軍事的、外交的に機先を制するべく、汎アルバニア主義のギリシャ北西部への伸張の脅威を警告した。セルビアおよびマケドニア共和国のメディアの報告では、新しい汎アルバニア主義の組織がその活動対象をチャメリアと呼ばれるギリシャ北西部へも広げ、彼らの主張する「全アルバニア」の統合を目指すとしている。国際監視団は、コソボの政治家がチャメリア問題に言及しはじめる可能性を警戒した。
    [12]

出典

  1. ^ a b Vickers, Miranda (2007-01). The Chum Issue: Where to Now?. Balkans Series 07/01. 1/7. Conflict Studies Research Centre, Defence Academy of the United Kingdom. p. 9. ISBN 978-1-905962-01-3. オリジナルの2008-06-26時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080626234836/http://www.da.mod.uk/colleges/csrc/document-listings/balkan/07(01)MV.pdf 2023年12月1日閲覧。 
  2. ^ UNDP: Early Warning Report. March 2007, p. 16 (Online text) Archived 2015年5月18日, at the Wayback Machine.
  3. ^ 政治的確信犯が試合を破壊した。悲しきユーロ2016予選の背景”. スポルティバ (2014年10月22日). 2019年10月20日閲覧。
  4. ^ コソボ統計局. オリジナルの2008-04-11時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080411113231/http://www.ks-gov.net/ESK/ 
  5. ^ a b Pettifer, James (July 2001). The Greek Minority in Albania in the Aftermath of Communism. CSRC. G97 
  6. ^ (フランス語) (pdf) Mozaic map. Le Monde diplomatique. オリジナルの2023-07-27時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230727085001/https://mondediplo.com/maps/IMG/pdf/mosaic.pdf 
  7. ^ Unrepresented Nations & Peoples Organization, Yearbook 1995 Page 41 By Mary Kate Simmons ISBN 904110223X
  8. ^ Whose Democracy? Nationalism, Religion, and the Doctrine of Collective rights in post-1989 eastern Europe Page 80 By Sabrina P. Ramet (1997) ISBN 0847683249
  9. ^ Bugajski, Janusz (1995). Ethnic Politics in Eastern Europe  ISBN 1563242826
  10. ^ Naegele, Jolyon (2008年4月9日). “Macedonia: Authorities Allege Existence Of New Albanian Rebel Group” (英語). Radio Free Europe/Radio Liberty. https://www.rferl.org/a/1100499.html 2019年10月20日閲覧。 
  11. ^ “KLA - The Army of Liberation”. The Union of Death: Terrorists and Freedom Fighters in the Balkans. p. 56. https://samvak.tripod.com/pp56.html 2019年10月20日閲覧。 
  12. ^ (pdf) BS ISO 24517-1:2008: Document management. Engineering document format using PDF - Use of PDF 1.6 (PDF/E-1). BSI British Standards. (30 Jun 2008). http://dx.doi.org/10.3403/30148508u 2023年12月1日閲覧。 
  13. ^ Pan-Albanianism: How Big a Threat to Balkan Stability?”. Europe Report N°153 (2004年2月25日). 2007年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月20日閲覧。


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