GLAY EXPO '99 SURVIVALとは? わかりやすく解説

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GLAY EXPO '99 SURVIVAL

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:30 UTC 版)

GLAY EXPO」の記事における「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」の解説

1999年7月31日幕張メッセオープン10周年GLAY結成10周年記念して開催。期間前後には、日本航空とのタイアップで、「GLAYジャンボ」が就航された。新聞・テレビ・ラジオを問わず多くメディア当日模様報じ芸能関係を扱うスポーツ紙のみならず一般紙一面にも記事掲載されるなど、社会現象になったパラボラアンテナ模した特設ステージは“音楽発信基地”というコンセプトのもとに作られた。入場時間から開始時間までが6時間と長かったので、ライヴスタートの前にステージスクリーンステージそばのホテルからラジオ番組形式での生中継トークライヴ上映された。単独アーティストによる有料コンサートとしては世界最大級であり、その観客総動員数から“20万人ライブと言う別称付き、今ではこちらの呼び方一般的になっている(ファンメディアだけでなく、GLAYメンバー自身もそう呼んでいる)。ライヴ最初の5曲(「HAPPY SWING」から「More than Love」まで)を会場中央作られ小さな円形ステージで行い(このステージは、アンコールの「I'm yours」「BE WITH YOU」「I'm in Love」の演奏時に使われた)、「サバイバル以降の曲はメイン前方ステージで演奏したチケット取れず会場近く歩道橋から見る人も多く見受けられた。ライブ終了後20万人全ての観客退場したのは日付変わった深夜0:30だったという。 TAKUROは「『ウッドストックのようなイベントやりたい』という夢が叶ったと言う感じでしたね。ステージ立っている時は間違いなく歓喜でした。ただその一方でこの後何をどうしたらいいんだろうと言う虚脱感襲ってきて、一時GLAYどうすると言う迷い出たのも事実でした。結果的にそれ以降GLAY作っていくきっかけになったイベントでしたね」と後に語っており、更に別のインタビューでは、当時GLAYこの年(1999年)いっぱい解散させようというきっかけにもなったと語っている(「次にGLAYとして何をやればいいか、わからなくなった」と語った。しかし結果的にGLAY解散なくなった)。

※この「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」の解説は、「GLAY EXPO」の解説の一部です。
「GLAY EXPO '99 SURVIVAL」を含む「GLAY EXPO」の記事については、「GLAY EXPO」の概要を参照ください。

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