EWD と手書き文書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 09:31 UTC 版)
「エドガー・ダイクストラ」の記事における「EWD と手書き文書」の解説
彼はまた、万年筆で慎重に原稿を書く習慣があることでも知られていた。ダイクストラは原稿に自分のイニシャルである EWDという記号と番号を付与したため、彼の原稿は一般に EWD と呼ばれている。ダイクストラ自身によれば、アムステルダムの数学研究所を離れてアイントホーフェン工科大学に移った後、この習慣が始まったという。アイントホーフェンに移った後、ダイクストラは1年以上何も書けない状態が続いた。自分を省みたダイクストラは、数学研究所の元同僚が理解するようなことを書けばアイントホーフェンの同僚には理解されず、アイントホーフェンの同僚が望むようなことを書けば数学研究所の元同僚に軽蔑されるという懸念があることを発見する。そこで彼は自分自身のためだけに書くことを決め、EWDが生まれた。ダイクストラは新たに EWD を書き上げると、そのコピーを同僚に配布した。それがさらにコピーされて世界中に配布されていき、計算機科学界全体に広がったのである。主題は計算機科学か数学であるが、一部は旅行記だったり、手紙だったり、講演記録だったりする。1300以上のEWDが電子化され、テキサス大学のダイクストラのアーカイブで検索・入手可能である。 ダイクストラの空想上の副業として、空想上の企業 Mathematics Inc. の会長という仕事があった。この企業はコンピュータのプログラム製造を商業化したソフトウェア企業のように、数学の定理を製造することを商業化した会社である。彼は Mathematics Inc. の様々な活動や課題を考案し、それをEWDシリーズのいくつかの文書で発表している。この空想上の企業はリーマン予想の証明を製造したが、リーマン予想が正しいと仮定して様々な証明を行ってきた数学者たちからロイヤルティーを徴収するという難題に直面する。証明そのものは企業秘密 (trade secret) である。同社の証明の多くは急いで生産され、同社はそれらの保守に追われることになった。より成功した成果として、ピタゴラスの定理の標準的証明があり、100以上存在した既存の証明群を置換した。ダイクストラは Mathematics Inc. について「これまでに考案された最もエキサイティングで最もみじめなビジネス」と評した。EWD 443 (1974) では彼の想像した会社が世界の75%のシェアを獲得したとされている。 ダイクストラはソフトウェアについて様々な発明をしたが、自分のコンピュータを所有したのは比較的遅く、しかもめったに使わなかった。1972年以降のEWDはほとんどが手書きである。講義の際は黒板にチョークで書き、オーバーヘッドプロジェクタも滅多に使わなかった。アップルのMacintoshを購入してからも、電子メールとWebブラウザ以外には使わなかった。
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