EU・NATOの東方拡大後
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「エストニアとロシアの領有権問題」の記事における「EU・NATOの東方拡大後」の解説
ロシア側があくまでNATO拡大(英語版)を警戒し、エストニア・ラトビアとの国境条約締結を渋るなか、エストニアはEU加盟を次善の策として外交を展開し始めた。そして、1997年7月に欧州委員会が公表したEU拡大に関する「意見」においても、第一次交渉開始グループにエストニアの名が挙げられた。そして、エストニアはロシアとの領有権問題を抱えたままであるにもかかわらず、翌1998年3月には正式にEU加盟交渉に入ることを許された。 EUはロシアとの領有権問題について、エストニア側がなし得る限りの自助努力をした結果であるため、加盟に当たっての問題とはしない、との立場をとった。NATOもまた、両国間の「暫定国境」に双方が国境警備隊と税関を設置することで、国境として機能させることを条件にエストニアのNATO加盟を容認した。そして、危惧されていたはずの領有権問題が障壁とならないまま、2004年にエストニアはEUおよびNATOへの加盟を果たすに至った。 むしろEUが東方拡大を成し遂げて以降、エストニアとの国境条約締結は、EUとの査証免除体制の導入を目指すロシア側にメリットとなるものであった。ラトビア=ロシア関係(ロシア語版)の冷却を尻目に、翌2005年前半には国境交渉が進展し、5月9日には基本的にソ連時代の国境線を承認する(すなわち、エストニア側が係争地を放棄する)形で、両国間に国境画定条約の署名が交わされた。翌6月20日にはエストニア議会が国境協定批准法を採択し、領有権問題は解決を見たかに思われた。 ところがその批准法の前文には、「1920年2月2日のタルトゥ平和条約第3条第1項で定められた国境線を部分的に変更し」という、条約案にない文言が追加されていた。この批准法はエストニア国内向けの条約付帯文書に過ぎず、国境条約そのものには影響を及ぼさないはずであった。しかし、ソ連のエストニア併合の合法性、そしてタルトゥ条約の無効性を大前提とするロシア側はこの批准法前文に激昂。国境条約も白紙撤回されるに至った。
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