DSM-II (1968年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 18:12 UTC 版)
「精神障害の診断と統計マニュアル」の記事における「DSM-II (1968年)」の解説
1960年代、精神疾患自体の概念に多くの課題が存在した。これらの課題はトーマス・サズ(英語版)のような精神科医からもたらされ、彼の主張は精神障害は、道徳的な衝突を偽装するために用いられている神話であるということである。 アーヴィング・ゴッフマンのような社会学者からは、精神障害は、単に非体制者を社会的に決め付け制御する方法の例であるとされた。行動主義心理学者は、識別できない現象であるという精神医学の原理的な信頼性に挑んだ。また同性愛権利活動家からは、同性愛を精神障害として記載するAPAを批判した。ローゼンハン実験が『サイエンス』にて公開され多くの注目を集め、精神医学の診断の有効性における攻撃だとみなされた。 とはいえ、APAはICD(第8版、1968年)の精神障害の章の次の重要な改定と密接に関連しており、そのことはDSMの改定版の推進を決定した。1968年に公開され、182の障害が挙げられ、134ページの長さであった。DSM-Iとかなり似ていた。「反応」(reaction)の用語は破棄され、「神経症」(neurosis)の用語は維持された。 DSM-IもDSM-IIも、主として精神力学的精神医学が反映されていたが、クレペリンの分類の手法から、生物学的な視点と概念を含んでいた。特定の障害に対する症状は、詳細には規定されなかった。多くは、神経症と精神病との区別に基づく、葛藤による広い反映や生活の問題への不適応な反応とみなされた(概略として、不安/うつは、大きく現実に触れており、幻覚/妄想は現実から切断され生じている)。 社会学と生物学的な知識が組み込まれ、正常と異常の間の境界は、明確には強調されなかった。人格障害が「感情的苦痛を伴わなかった」という見解は破棄された。 影響力のある1974年の論文は、ロバート・スピッツァーとジョセフ・L・フレイス(英語版)によるもので、彼らはDSM第2版(DSM-II)が信頼性の低い手段であることを実証した。
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