ポルトゥカーレ伯領
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 14:56 UTC 版)
- ポルトゥカーレ伯領
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Condado Portucalense (ポルトガル語)
Condado de Portucale (ポルトガル語) -
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←868年 - 1071年
1096年 - 1139年→
(国旗) (国章) -
ポルトゥカーレ伯領(第二期)の位置 -
言語 古ポルトガル語
モサラベ語
アル・アンダルス=アラビア語宗教 カトリック
イスラム教
ユダヤ教首都 ギマランイス(868年 - 1131年)
コインブラ(1131年 - 1139年)- ポルトゥカーレ伯
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868年 - 873年 ヴィマラ・ペレス 1050年 - 1071年 ヌノ・メンデス 1096年 - 1112年 エンリケ 1112年 - 1139年 アフォンソ・エンリケス - 変遷
-
設立 868年 オーリッケの戦い 1139年
現在 ポルトガル
スペイン
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ポルトゥカーレ伯領(ポルトゥカーレはくりょう、ポルトガル語: Condado Portucalense, Condado de Portucale)は、今日のポルトガル、ノルテ地方の沿岸部に一致するポルトおよびブラガ周辺に存在した諸侯領である。9世紀から12世紀までの間はレオン王国の封土であった。
概要
ポルトゥカーレ伯領の誕生は、伝統的に866年のヴィマラ・ペレス伯によるポルトへの国土回復運動(レコンキスタ)の目的で設置したことに求められ、レオン国王アルフォンソ3世によって成立したとされている。伯領はレオン王国内において、その自治の度合いを変えながら存続したが、ガリシア王国が短期間分裂していたさなかの1071年にヌノ2世・メンデスがガリシア国王ガルシア2世により敗死させられた。これにより伯領の独立は廃されてガリシア王領内に留まることとなり、続いてサンチョ2世とアルフォンソ6世が統治するレオン王国に再統合された。
ポルトガルを含むガリシア伯領は、アルフォンソ6世から婿のライムンドに継承されたが、1096年にアルフォンソ6世はポルトゥカーレ伯領を分離させ、別の婿のエンリケに与えた。エンリケは、アルフォンソの娘(庶子)テレサの夫であった[1][2]。
後を継いだエンリケの息子アフォンソ・エンリケスは領土を拡大し、自身の王号は当然のことと考えるまでになった。アフォンソは1128年に権力を掌握し、のちには侵入した母テレサの軍勢をギマランイス付近のサン・マメーデの戦いで撃破した。この戦いの後には十字と「ポルトガル」の文字を刻んだ印章を作成している。アフォンソはエントレ・ドウロ・イ・ミーニョ(ドウロ川・ミーニョ川間の地域)の貴族の支援を受けながら勝利しつづけ、1139年にオーリッケの戦いで勝利したことで「ポルトガル王」としての即位を宣言した。
最終的には、カスティーリャ国王アルフォンソ8世は1143年のサモラ条約で、ポルトガルの事実上の独立を認めた。ポルトガル王国の成立である。
歴代伯
- 初期
- ヴィマラ・ペレス(868年 - 873年)
- ルシディオ・ヴィマラネス(873年 - ?)
- エルメネジルド・ゴンサレス(924年頃 - 950年頃)
- ムマドナ・ディアス(924年頃 - 950年頃)
- ゴンサロ・メネデス(950年頃 - 997年)
- メネンド・ゴンサレス(997年 - 1008年)
- アルヴィト・ヌネス(1008年 - 1015年)
- ヌノ・アルヴィテス(1017年 - 1028年)
- イルドゥアラ・メンデス(1017年 - 1028年、息子メンドの摂政)
- メンド・ヌネス(1028年 - 1050年)
- ヌノ・メンデス(1050年 - 1071年)
- 第2期(ブルゴーニュ王朝)
- エンリケ(1096年 - 1112年)
- テレサ(1112年 - 1128年、息子アフォンソの摂政) 自身の称号はポルトガル女王
- アフォンソ・エンリケス(1112年 - 1139年) 自身の称号はポルトガル公
脚注
- 注釈
- 参考文献
- Barton, Simon (1997), The Aristocracy in Twelfth-Century León and Castile, Cambridge, England: Cambridge University Press
- Ferreira, João (2010), Histórias Rocambolescas da História de Portugal [Fantastic Stories of the History of Portugal] (6 ed.), Lisbon, Portugal: A Esfera dos Livros
- 金七紀男『ポルトガル史』(増補版第1刷)彩流社、1996年。
関連項目
「County of Portugal」の例文・使い方・用例・文例
- Microsoftがβ版をランチするのは「NetShow streaming server」で動画や音声をオンデマンドで提供する。
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 an admiral of the fleet 海軍元帥.
- 篏入的 r 音 《英音の India office /ndiərfɪs/の /r/の音》.
- =《口語》 These kind of stamps are rare. この種の[こういう]切手は珍しい.
- (英国の)運輸省. the Ministry of Education(, Science and Culture) (日本の)文部省.
- は of の誤植です.
- を off と誤植する.
- あいまい母音 《about, sofa などの /ə/》.
- 副詞的小詞 《on, in, out, over, off など》.
- 迂言的属格 《語尾変化によらず前置詞によって示す属格; たとえば Caesar's の代わりの of Caesar など》.
- çon of garlic [humor]. それにはガーリック[ユーモア]がちょっぴり必要だ.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Speaker of the House of Commons 下院議長.
- 《主に米国で用いられる》 = 《主に英国で用いられる》 the Committee of Ways and Means 歳入委員会.
- 初めて読んだ英文小説は“The Vicar of Wakefield”
- (違法罪―a sin of commission―に対する)怠惰罪
- 『each』、『every』、『either』、『neither』、『none』が分配的、つまり集団の中の1つのものを指すのに対し、『which of the men』の『which』は分離的である
- 『hot off the press(最新情報)』は『hot(最新の)』の拡張感覚を示している
- 『Each made a list of the books that had influenced him』における制限節は、リストに載った本を制限節で定義された特定の本だけに制限する
- 臨床的鬱病を治療するのに用いられる三環系抗鬱薬(商品名ImavateとTofranil)
- 『sunshine-roof』は『sunroof(サンルーフ)』に対する英国の用語である
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