ライムンド・デ・ボルゴーニャとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > アンスカリ家 > ライムンド・デ・ボルゴーニャの意味・解説 

ライムンド・デ・ボルゴーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
ライムンド・デ・ボルゴーニャ
Raimundo de Borgoña
ガリシア伯
ポルトゥカーレ伯
コインブラ伯
サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂所蔵の写本に描かれたライムンド

出生 1070年
死去 1107年5月27日
配偶者 ウラカ・デ・カスティーリャ
子女 サンチャ
アルフォンソ
家名 アンスカリ家
父親 ブルゴーニュ伯ギヨーム1世
母親 エティエンネット
テンプレートを表示

ライムンド・デ・ボルゴーニャ(Raimundo de Borgoña, 1070年頃 - 1107年5月27日)は、後のカスティーリャ女王ウラカの最初の夫。ブルゴーニュ伯ギヨーム1世の息子で、フランス名はレーモン・ド・ブルゴーニュ(Raymond de Bourgogne)。ガリシア伯、ポルトゥカーレ伯コインブラ伯。兄に伯位を継いだルノー2世エティエンヌ1世が、弟にローマ教皇カリストゥス2世が、また姪にフランスルイ6世の王妃アデル・ド・サヴォワがいる。

生涯

1087年にカスティーリャ王アルフォンソ6世の娘であるウラカと結婚し、1095年にガリシア伯に叙せられた。ウラカとの間には1男1女が生まれた。

  • サンチャ(?)
  • アルフォンソ(1105年 - 1157年) - カスティーリャ王

ライムンドが1107年に死去した後、ウラカは2度再婚した。また、アルフォンソ6世の男子が早世していたことから、1109年にウラカが王位を継いだ。ウラカの死後はライムンドとの間の息子アルフォンソ7世が即位し、ボルゴーニャ(ブルゴーニュ)朝を興した。

ポルトゥカーレ及びコインブラ伯の地位は、1096年にアルフォンソ6世の別の女婿であるエンリケ・デ・ボルゴーニャ(ウラカの異母妹テレサの夫)が継承した。





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ライムンド・デ・ボルゴーニャ」の関連用語

ライムンド・デ・ボルゴーニャのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ライムンド・デ・ボルゴーニャのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのライムンド・デ・ボルゴーニャ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS