ボードゥアン7世 (フランドル伯)とは? わかりやすく解説

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ボードゥアン7世 (フランドル伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/08 04:04 UTC 版)

ボードゥアン7世
Baudouin VII
フランドル伯
在位 1111年 - 1119年

出生 1093年
死去 1119年7月17日
配偶者 アニェス・ド・ブルターニュ
家名 フランドル家
父親 フランドル伯ロベール2世
母親 クレマンス・ド・ブルゴーニュ英語版
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ボードゥアン7世と伯母アデル

ボードゥアン7世フランス語: Baudouin VII de Flandre、オランダ語: Boudewijn VII van Vlaanderen、1093年 - 1119年7月17日)は、フランドル家最後のフランドル伯(在位:1111年 - 1119年)。

生涯

血縁

フランドル伯ロベール2世クレマンス・ド・ブルゴーニュ英語版の息子である。母方の叔父にローマ教皇カリストゥス2世カスティーリャ王配ライムンド・デ・ボルゴーニャがおり、ライムンドの息子のカスティーリャ王アルフォンソ7世をはじめ、サヴォイア伯アメデーオ3世モンフェラート侯グリエルモ5世英語版は従兄弟にあたる。

フランドル伯

1111年10月5日、父ロベール2世の死により18歳でフランドル伯を継承した。同じ宮廷で育った一回り年上の従兄弟シャルル(後のフランドル伯シャルル1世)が助言者となった。1118年、ボードゥアン7世はシャルルとマルグリット・ド・クレルモンの結婚を仲立ちした。

死去と継承

1118年9月、ビュール=アン=ブレイの戦いでフランス王ルイ6世の側につきイングランド王ヘンリー1世と闘ったが負傷し、その傷がもとで1119年に死去した。ボードゥアン7世が死の直前に後継者に指名したシャルルが、シャルル1世としてフランドル伯に即位した[1]

結婚

1105年、ボードゥアン7世はブルターニュ公アラン4世の娘アニェスと結婚した。この時夫は12歳、妻はわずか9才であった。1110年に2人は離婚し、以後ボードゥアン7世は結婚しなかった。アニェスとの間には子が無かった。


参考文献

先代
ロベール2世
フランドル伯
1111年 - 1119年
次代
シャルル1世



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