Aと被害者の交際
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:22 UTC 版)
「桶川ストーカー殺人事件」の記事における「Aと被害者の交際」の解説
1999年1月6日に被害者が友人と二人で遊びに来ていた埼玉県大宮市(現在:さいたま市)にあるJR大宮駅東口・大宮南銀座のゲームセンターにおいて加害者容疑の男 (以下、A) と知り合い、やがて交際が始まった。Aは被害者に対し偽名を名乗っていたうえ、年齢を3歳若く詐称し、職業も外国車のディーラーと偽り接近したが、その実体は、東京都および埼玉県において無許可でファッションヘルス形態の風俗店を6~7店舗経営する裏社会の実業家であった。 当初のAと被害者は、週に一度食事やドライブに出かける程度の交際をしていたが、そのなかでAは被害者にブランド品の衣類などを頻繁に贈るようになり、そのことに違和感を抱いた被害者がある日受け取りを断ろうとすると、Aは逆上したという。これ以外にもAは情緒不安定な面をしばしば露わにし、被害者は交際に不安を抱きはじめる。またこの頃、車のダッシュボードの中からAの本名が記されたクレジットカードを発見。またある日にAから病院に呼び出されると、病室に暴力団員風の男がおり、そのなかでAは「ミニパトにわざとぶつかってやった」などと自慢気に話した。こうした出来事から被害者はAの身元にも不審の念を抱いていた。 Aが被害者への態度を決定的に変えたのは、3月20日ごろのことである。Aのマンションを訪れていた被害者が室内にビデオカメラが仕掛けられているのを発見、これを問いただすとAは逆上して被害者を隣室の壁際に追い込み、顔面至近の壁を殴りつけながら「俺に逆らうのか。なら今までプレゼントした洋服代として100万円払え。払えないならソープに行って働いて金を作れ。今からお前の親の所に行くぞ。俺との付き合いのことを全部ばらすぞ」などと怒鳴りつけた。この出来事を経て被害者は「交際を断れば殺されるかもしれない」という恐怖心を抱くに至った。また、これ以降Aは携帯電話で被害者に頻繁に連絡を取ることにより、その行動を束縛し始める。 3月30日、被害者は家族と友人に宛てた遺書をしたためたうえで、Aに対して別れ話を切り出す。するとAは被害者の家族に危害を及ぼすことをほのめかしながら、交際の継続を強要した。実際にAは興信所に依頼して被害者の父親の勤務先や友人の情報を入手しており、このときも被害者が伝えていないはずの父親の情報を開陳していた。被害者は家族に心配をかけることを避けるため、友人にのみ相談しながらAとの交際を続けていくことになった。しかし友人のもとにもAの関係者とみられる人物からの不審な電話が掛かるようになり、友人もAを恐れるようになっていったという。4月21日には、Aは被害者に自ら携帯電話を破壊するよう命じた。その後も被害者が別れ話を切り出すたびにAは家族に累を及ぼすと脅迫し、また被害者の生命を奪うことを示唆するような言葉を向けた。被害者は友人に対し幾度となく「刺されるかもしれない」などと話すようになる。
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