514形への改造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/18 12:12 UTC 版)
「京都市交通局500形電車」の記事における「514形への改造」の解説
不況下で乗客数の低迷が続くと、京都市電では大型の500形を持て余すようになってしまった。しかし、京都市電気局では広軌1形も老朽化していたこともあり、その後継車をどのようなものにするのかについて検討が開始された。そのような流れの中で当時登場していた大阪市電801形・901形、神戸市電600形といった汎用性の高い中小型車に着目し、1935年から1936年にかけて514 - 517の4両の台車、電装品を活用して、汽車会社(514・515)、川崎車両(516・517)の両社で小型ボギー車に改造した。 改造内容は、車体を全長10.7mの箱型の小型車体に載せ換え、それに伴って側面窓配置も1D8D1となったほか、側窓も京都市電初採用の2段上昇窓となり、ドアも運転台横のハンドルで開閉を操作する2段引戸となった。また、側面窓の天地幅が拡大したことから、前面窓もそれに合わせて拡大されており、前面幕板部には当初オレンジ色の標識灯が取り付けられた。車体は514・515と516・517では大きく異なっており、前者は屋根がやや深くて幕板が狭く、比較的平凡なスタイルになっているのに対し、後者は屋根が浅くて幕板が広いという、後年登場した大阪市電1301形と似たイメージのスクエアな車両であった。塗色も茶色一色から戦後の大阪市電によく似た上半クリーム、下半マルーンのツートンカラーに変更され、この塗装が従来車の標準色となり、他の500形も含めた全車の塗装変更が実施された。この他、塗装試験車として、2グループのうちどちらかが緑色一色で登場した。ちなみに、載せ換えられた元の大型車体は操車場の詰所などに活用された。 514形の運用実績をもとに翌1937年から戦前の京都市電を代表する600形が登場したが、600形は514形とは似ても似つかぬ優美な流線形車両として登場し、それまでの京都市電のイメージを変えただけでなく、神戸市電の「ロマンスカー」700形や大阪市電の「流線型」901形とそのモデルチェンジ車である2001形・2011形、阪神国道線の「金魚鉢」71形や名古屋市電1400形とならぶ戦前の日本の路面電車を代表する車両となった。そこには514形の面影を見ることはできないが、514形は600形にメタモルフォーゼするためのさなぎの役を務めた必要不可欠な車両であるといえる。
※この「514形への改造」の解説は、「京都市交通局500形電車」の解説の一部です。
「514形への改造」を含む「京都市交通局500形電車」の記事については、「京都市交通局500形電車」の概要を参照ください。
- 514形への改造のページへのリンク