3代目圓馬からの稽古
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 19:51 UTC 版)
「桂文楽 (8代目)」の記事における「3代目圓馬からの稽古」の解説
3代目圓馬は、ネタ数の多さで有名で、その中には東京・大阪の演目が幅広く含まれる。食べ方一つで羊羹の銘柄を描き分け、また豆を食べるのも枝豆、そら豆、甘納豆それぞれの違いをはっきりと表現し、8代目文楽を驚かせた。 稽古は丁寧でかつ厳しいもので、当時の8代目文楽はただ大声で怒鳴っているだけだったので、3代目圓馬は「お前の声は川向こうでしゃべっている声だ。なぜそんな声をだすんだ」とたしなめ、半紙を取り出して登場人物の家の間取りを自ら描き、人物の位置関係を懇切丁寧に説明してくれた。 若き日の8代目文楽はポーズフィラーが多く、それを矯正することもさせられた。ガラスのおはじきを買って来て、8代目文楽が噺をさらっている時フィラーが1回出るとおはじきを1個投げつけた。最初は一席話し終えるとおはじきの数が70を越えていた。稽古を重ねるにつれておはじきの数は減っていき、やがて0になった。また8代目文楽は原稿用紙に3代目圓馬のネタをどんどん自筆で書き写して覚えるということを続け、40歳を過ぎてもやっていた。 8代目文楽が京都にいたころ、3代目圓馬は関係の悪化していた4代目橘家圓蔵を殴打する事件を起こしドサ回りに出た。8代目文楽が東京に戻った時、3代目圓馬は大阪に定住していたため、大阪まで通って稽古を付けて貰った。8代目文楽は3代目圓馬を崇拝しており、汚い表現だが「なめろと言われれば師匠のゲロでもなめたでしょう」と語った。 3代目圓馬は晩年中風で倒れ、言葉が不自由になったが8代目文楽は生涯尊敬し続けた。
※この「3代目圓馬からの稽古」の解説は、「桂文楽 (8代目)」の解説の一部です。
「3代目圓馬からの稽古」を含む「桂文楽 (8代目)」の記事については、「桂文楽 (8代目)」の概要を参照ください。
- 3代目圓馬からの稽古のページへのリンク