2900形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 05:43 UTC 版)
「国鉄2100形蒸気機関車」の記事における「2900形」の解説
本形式は、1912年に、2100形、2120形および2500形を対象に先輪を追加して、車軸配置を2-6-2 (1C1) 型とし、重量配分の関係で側水槽を増大したものである。また、弁装置はスチーブンソン式のままであるが、弁室をシリンダー上部に移してアメリカ形としており、検修の便を図っている。先輪はビッセル式で、前端梁は、火室部からブレース(支柱)で支持している。改造は、四日市工場および鷹取工場で、17両に対して施工された。この中には、旧関西鉄道から引き継いだ全車(2100形5両・2500形2両)が含まれている。特に、アメリカ製の2666, 2667を改造したものは、種車の特徴的な外観を残しており、改造に際しても、側水槽の延長部の下側を欠き取った形態となって、さらにユニークさが増している。 新旧番号の対照は次のとおり。 1912年(17両)四日市工場(7両) - 2900 - 2904, 2915, 2916 ← 2112 - 2116, 2666, 2667 鷹取工場(10両) - 2905 - 2914 ← 2546, 2167, 2185, 2510, 2516, 2538, 2568, 2587, 2540, 2593 改造後は西部鉄道局に配置され、山陽本線西部で使用された。その後、2900 - 2905, 2910 - 2916は門司鉄道局、2906 - 2909は名古屋鉄道局に転じ、さらに名古屋鉄道局の分は、1926年に岡山、長岡、盛岡の各建設事務所に転じた。そのうち、2907は信濃川電気事務所に転じて、1956年(昭和31年)まで使用されていたのが実見されている。 門司鉄道局のものは、1920年代には広島、三田尻、下関にあって、ローカル貨物や混合列車の牽引に使用されていた。営業用としては1935年(昭和10年)までに廃止され、あとは建設事務所に残るのみとなった。1944年(昭和19年)現在では、後述の再買収車を含めて3両が残るのみとなっていた。 本形式からは、1934年(昭和9年)に2916が小倉鉄道に譲渡されたが、1944年に戦時買収により再国有化、1948年(昭和23年)に廃車解体された。
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