2008〜9年:野党への転落
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「アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「2008〜9年:野党への転落」の解説
2008年の大統領選挙に向けては、副大統領のディック・チェイニーが不出馬を宣言したため、早くからジョン・マケイン上院議員が共和党候補として有力視されており、早くも2008年共和党全国大会(英語版)の6か月前の3月6日にはブッシュ大統領の推薦を得た。8月29日、マケイン上院議員はアラスカ州知事のサラ・ペイリンを彼の副大統領候補に据えることを発表し、共和党としては初めての女性大統領選候補者となった。 大統領候補指名後の全国世論調査では、マケインは民主党のバラク・オバマより優位に立っていた。しかし、世界金融危機と深刻な景気後退のさなか、結局はオバマとその副大統領候補ジョー・バイデンの前に敗れ去った。1992年以来、5回連続で、共和党候補は選挙人300票を集めることができず、共和党勢力が伸び悩んでおり、何か一つ失敗すれば勝利を手にすることは難しくなっていることを示唆した。 2006年の議会の多数党からの転落に続き、2008年の選挙で大統領の座と更なる連邦議会の議席を失い、重要州の知事職も失った共和党は分裂し、リーダー不在状態に陥った。マイケル・スティールがアフリカ系アメリカ人として初の共和党全国大会議長となったが、資金調達力が無く、不手際や失態が続き、職を追われた[リンク切れ]。連邦議会では、2009年4月、アーレン・スペクター上院議員が民主党に移籍し、遂に共和党は上院で法案成立を阻止するのに必要な41票目までもを失った。数カ月後、アル・フランケンが裁判で勝利を確定させて上院議員に就任したことで、民主党は共和党の議事妨害(フィリバスター)を回避できる60議席を手に入れたのである(議会の5分の3の票があれば、クローチャー(英語版)によって一定時間以内に強制的に採決が可能となる)。オバマ政権の目玉政策である医療改革や経済規制改革が実現するようになったのは、この後である。共和党は、しばしば「仕事はどこにあるんだ?」というオバマ政権を批判するフレーズを使いながら、オバマが成立させた2009年のアメリカ復興・再投資法や2010年の医療保険制度改革法(オバマケア)に強く反対した。特に医療制度改革法は、判で押したように「違憲法案である」と非難した。
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