2002年:2ステップとグライム
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「UKガラージ」の記事における「2002年:2ステップとグライム」の解説
2002年、2ステップはファンキーでソウル志向のサウンドから「グライム」(grime) と呼ばれるダークなサウンドへ移行した。このグライムは現在1つのジャンルとして独立している。この時期、ジャンルの乱暴な側面やソー・ソリッド・クルー (So Solid Crew) のメンバーを取り巻く暴力が公表されたことから生じた世間の悪評の中で、伝統的なUKガラージはアンダーグラウンドに押し戻された。それでもなお、いくつかのUKガラージの楽曲が2002年から2004年にかけてチャートに姿を現した。そこにはシンディ・ローパー (Cyndi Lauper)「タイム・アフター・タイム」(Time After Time) のディスタント・サウンズ (Distant Soundz) 独自のアレンジによるカバー(第20位)、ソー・ソリッド・クルーの「ヘイターズ」(Haters)(第8位)および「ライド・ウィッド・アス」(Ride Wid Us)(第19位)、ミスティーク (Mis-Teeq) の「B・ウィズ・ミー」(B with Me)(第5位)、ハートレス・クルー (Heartless Crew) の「ザ・ハートレス・テーマ」(The Heartless Theme)(第21位)、ペイ・アズ・U・ゴー (Pay As U Go)「シャンペイン・ダンス」(Champagne Dance)(第13位)、ジェイムソン (Jaimeson) の「トゥルー」(True)(第4位)、ミスター・レッズ vs DJスクリブル (Mr Reds vs DJ Skribble) の「エヴリバディ・カモン(キャン・ユー・フィール・イット)」[Everybody Come On (Can U Feel It)](第13位)、スリー・オブ・ア・カインド (3 of a Kind) の「ベイビー・ケイクス」(Baby Cakes)(2004年8月に第1位を獲得)などが含まれる。 2001年から2003年ごろの初期のグライムアーティストとしては、ラフ・スクワッド (Ruff Sqwad)、モア・ファイア・クルー (More Fire Crew)、ディジー・ラスカル (Dizzee Rascal)[2003年にデビューアルバム『ボーイ・イン・ダ・コーナー』(Boy in da Corner)をリリース]、ロール・ディープ (Roll Deep)、ワイリー (Wiley) などが有名である。 この時期、UKガラージには強固な階級区分も存在していた。1990年代後期の全盛期のUKガラージは強い向上心をもつジャンルであった。クラブにUKガラージを聴きに出かけるにあたっては、人々はしっかりと装った。トワイス・アズ・ナイス (Twice as Nice) などのクラブはドレスコードを厳しく運用した。フォーマルなドレスコードの存在により、良い服装に置かれる重要性はスタイルから排他性に変化した。トワイス・アズ・ナイスなどのクラブのドレスコードが意図していたのは、「努力の奨励」、そして「トラブルを寄せ付けない」ことであった。しかし、テニスシューズ/ジーンズ/ベースボールキャップ禁止というドレスコードが締め出したのは無害な学生に過ぎなかったため、トワイス・アズ・ナイスは金属探知機を設置した。それは、ギャングスタ [gangsta(s)] が高価な服装を好む一方で銃を携帯している可能性があったためであった。やがて、ソー・ソリッド・クルーなどのグループがUKガラージトラックに乗せるリリックで都会のローワークラス (lower-class) のオーディエンスをレイブに引き込むようになると、UKガラージは以前のオーディエンスがあまり聴きそうにないものとなりグライムに移行しはじめたため、ラジオやクラブはUKガラージへの機会の提供を打ち切った。
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