1986年-2002年: 成功の継続
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「アラバマ (バンド)」の記事における「1986年-2002年: 成功の継続」の解説
1986年1月、RCAからコンピレーションアルバム『Greatest Hits 』が出版され、5倍プラチナ認定され、1980年代に最も成功したカントリー・バンドとなった。1986年9月のアルバム『The Touch 』は彼らのこれまでのアルバムの中で最も評価の低いアルバムとされたが、シングルカットされた『"You've Got" the Touch 』、『Touch Me When We're Dancing 』の2曲が第1位を獲得した。1987年9月のアルバム『Just Us 』は同様の批評を受けたが、シングル『Face to Face 』、『Fallin' Again 』が第1位を獲得した。 1980年代終盤までアルバムはゴールド認定されたが売上は徐々に落ちていった。リッキー・スキャグス、ランディ・トラヴィス、ジョージ・ストレイト、ドワイト・ヨーカムなどのより伝統的なサウンドに回帰し、アラバマの人気に陰りが見えてきた。にも関わらず、ツアー公演は人気を博し続け、1988年、初のライヴ・アルバム『Alabama Live 』を発表した。1989年の『Southern Star 』において、ジョシュ・レオおよびラリー・リーと、バリー・ベケットとの間のプロダクション契約を分かつ代わりに、長年プロデューサーを務めたシェッドと決別した。シングル『Song of the South 』が第1位を獲得し、アルバムからの他のシングル『If I Had You 』、『High Cotton 』、『Southern Star 』はアメリカとカナダの双方で第1位を獲得した。同年、『ビルボード』誌から1980年代を代表するカントリー・アーティストに認定され、ACAもこの10年間を代表するアーティストに認定した。 1990年代、人気は下降し続けたが、アルバムはまだゴールドまたはプラチナに認定されていた。1990年のアルバム『Pass It on Down 』の収録曲『Jukebox in My Mind 』、『Forever's as Far as I'll Go 』、『Down Home 』が第1位を獲得した。オールミュージックによると、1992年のアルバム『American Pride 』までに「彼らはこのジャンルの大御所となった」。『Country Music: A Biographical Dictionary 』のリチャード・カーリンは若い観客に合うハーモニーを提案した。『I'm in a Hurry (And Don't Know Why) 』が第1位を獲得してアルバムからの最大のヒットとなり、他の収録曲『Take a Little Trip 』、『Once Upon a Lifetime 』、『Hometown Honeymoon 』はトップ3にランクインした。1933年のアルバム『Cheap Seats 』の収録曲『Reckless 』が最後の第1位となったが、その後のシングルもトップ10に入り続けた。1995年のアルバム『In Pictures 』は18枚目のゴールド・アルバムとなり、当時カントリーで最高となった。1996年にはまだCMAアワードのヴォーカル・グループ賞にノミネートされていた。1997年、リズム・アンド・ブルースとビーチ・ミュージックのアルバム『Dancin' on the Boulevard 』が出版された。収録曲『Sad Lookin' Moon 』、『Dancin', Shaggin' on the Boulevard 』はアメリカとカナダでトップ5にランクインした。翌年、新曲2曲『How Do You Fall in Love 』、『Keepin' Up 』を収録した2枚組ベスト盤『For the Record 』が出版された。これらの新曲はカントリー・チャートでそれぞれ第2位と第14位を獲得した。 1999年、15枚目のアルバム『Twentieth Century 』でボーイ・バンドのイン・シンクの『(God Must Have Spent) A Little More Time on You 』をカバーし、まだ現役であることを示したとされる。このシングルはカントリー・チャートにおいてカナダでは第1位を獲得したが、アメリカでは第3位、アメリカの総合チャートでは第29位となった。2001年、アルバム『When It All Goes South 』が出版された。オウエンは「もし他にCDを製作することがなければこれが最高の作品」と語った。しかしシングルはこれまでのような成功とならず、タイトル曲がトップ15に入ったのみで、バンドのキャリアのピークはこれで終わりとなった。
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