1986年-2003年: 『1st ステップ・トゥ・ヘヴン』、ソロ活動
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1986年、DAFとしての活動を再開。英語詞でディスコサウンドを取り入れたアルバム『1st ステップ・トゥ・ヘヴン』は主にアメリカのマーケットを念頭に製作された。ゲアル、デルガド=ロペスともにサウンド構築、ボーカルの両方に参加したが、大いに疑問が残る結果となった。楽曲中、「Absolute Body Control」のみが往年の革新的な業績に匹敵しうる出来だが、批評家とファンは大きな失望を示した。DAFは再び分裂し、ガビ・デルガド=ロペスがDAFの名前を引き継いで活動を続けた。1987年には、ロベルト・ゲアルに代わってクラウス・ヤンクーン(DJウェストバムの音楽上のパートナー)を迎え、マキシシングル「The Gun」を発表。ドイツ最初期のハウスのレコードと言われている。1988年、ヴァージン・レコードから1981年から1982年までのクラシック・チューンを収録した『Best of DAF』を発売。ゲアルとデルガド=ロペスは、DJ、ソロ・アーティストとして、ハウス、テクノの分野で活動したが、かつてのDAFほどに耳目を集めることはなかった。ガビ・デルガド=ロペスはサバ・コマッサ (Saba Komossa)とのユニット「Delkom」で活動。リエゾン・ダンジェルーズの1982年の『Los Niños del parque』におけるリミックスなどで仕事ぶりを見ることができる。 ロベルト・ゲアルは、1989年に交通事故に遭い重傷を負う。この時、仏教を知り、後に改宗することとなる。1993年にドイツのDisko-Bレーベルから「Psycho」プロジェクトのリリースを行った。
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