1976年のファイナル第5戦とは? わかりやすく解説

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1976年のファイナル第5戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:51 UTC 版)

フェニックス・サンズ」の記事における「1976年のファイナル第5戦」の解説

設立8年目初めサンズ進出した1976年NBAファイナル第5戦は、今もしばしばリーグ史上最高の名勝負挙げられる古豪ボストン・セルティックスのホームアリーナボストン・ガーデンで同年6月4日行われたこの試合延長3回にも及ぶ激戦だった。この時点シリーズ成績は2勝2敗のタイであり、勝ったチーム優勝王手をかける重要な試合だった。 試合規定時間48分を同点終え延長入った。しかし5分の延長でも勝負がつかず、二度目延長迎えた二度目延長残り4秒となった時点で、サンズ1点リードしたボール持ったセルティックスジョン・ハブリチェックコート駆け抜けシュート放ち逆転セルティックス勝った考えたボストンファンコート溢れ出す事態となった審判試合がまだ1秒残っていると判断しファン観客席戻されるとサンズボールから再開となった。ここでサンズポール・ウェストファルはもう残されていないタイムアウト敢えて請求サンズテクニカルファウルとなり、セルティックスフリースロー1本が与えられた。セルティックスフリースロー沈め点差2点となったが、サンズコート中央からボール入れられることになったインバウンズパス受けたサンズのガー・ハードがシュート決め三度目延長決まった。既に両チームとも主力選手多くがファウルアウトしており、延長3回では普段控え選手活躍した試合128126セルティックス勝利となった試合終了後選手たち疲労のため立ち上がれないほどだった。 二日後に行われた第6戦をセルティックス制しサンズ初優勝はならなかった。NBAファイナル延長3回にまで入ったのはこの時が初めてであり、17年後のNBAファイナルでもサンズ延長3回試合経験した。この二つ試合NBAファイナル史上最長試合2番目に長く続いた試合である。 その後サンズは数シーズン渡り勝率5割を越え中堅チームだった。1980年には5527敗、翌1981年には5725敗とリーグでも屈指の勝ち星をあげたが、プレイオフでは勝ち残れなかった。以降次第勝率落ち1973年以来チーム率いてきたジョン・マクリードヘッドコーチが1986年退いた

※この「1976年のファイナル第5戦」の解説は、「フェニックス・サンズ」の解説の一部です。
「1976年のファイナル第5戦」を含む「フェニックス・サンズ」の記事については、「フェニックス・サンズ」の概要を参照ください。

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