1974年、富士グランチャンピオンレースでの事故についての証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 08:32 UTC 版)
「黒澤元治」の記事における「1974年、富士グランチャンピオンレースでの事故についての証言」の解説
黒澤と北野元の直後を走っていた高原敬武は、「黒澤が北野に気付かなかったということはありえない[出典無効]。横にクルマが並んだ時点で視界に入り気付くもの。黒澤が反動を付けるようにして、明確な意思を持って北野に何度もぶつかって、北野をはじき飛ばそうとした。接触したらマシン同士は弾けるように分かれる。それが再度接触するには、明確な意思がなければ不可能。黒澤がそれを繰り返したのは、バンクに入る唯一のラインにいた北野をはじき出すため。この証言については、事故の直後も現在も、同じことを何度も話している。警察の取り調べでもそう証言した。私の記憶を映像にする方法があれば、その映像を見てもらいたい。あれはないよ、ガンさん」と、事故の原因が黒澤にあるということを明確に語っている。また事故直後に北野が黒沢車を止めようとしたのに、黒沢が猛スピードで北野の脇を擦り抜けたことに対し、「あれだけの事故の原因を作ったのに、ガンさんの神経が理解できなかった」と証言している。[出典無効] 佐野直躬(テレビ放送のプロデューサーでアマチュアのレーシングドライバー。事故時はコントロールタワーで先頭集団を凝視)は「直線で黒澤が左に寄ったと思ったら、そのまま北野にぶつかった」と証言している。[出典無効] 漆原徳光は、「(第1ヒートがスタートする前)ローリングの最中にポールポジションの選手(黒澤)が蛇行したりブレーキを踏んだりして、レースになっていないと落胆した。あまりに危険。やってはいけない。仲間を尊敬し敬愛するのがスポーツマン。それがないならばスポーツではない」と語っている。 テレビ放送の解説を行っていた田中健二郎は、黒澤が1ヒート目のローリング中に蛇行や急減速を行ったこと(ウィービング)に対し「ここまでいったらイカン、やりすぎだと思う」と解説している。[出典無効] 事故映像の秘密鑑賞会があり、本レースの競技長である安友義浩は事故映像を見たはるかのちに「ガンちゃん(黒澤)はやっていない」と話した。難波靖治(日産追浜ワークスの責任者で本レースの審査委員長)は「接触は計3回。田原源一郎(元日産契約ドライバーで日産スポーツカークラブ(SCCN)会長)が『ほら、やっている。またやっている(黒澤が意図的に複数回にわたり接触している)』と言っていたが、私にはわからなかった。やっているといえばやっているし、やっていないといえばやっていない。結局、それは本人でなければわからない」と証言している。[出典無効]
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