1951年の橋
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1949年(昭和24年)10月2日、本畠村長を会長、武川村長および男衾村長を副会長として「植松橋架橋期成同盟会」が結成され、県に架橋の請願書を掲出し、それを受け、県議会で冠水橋の建設が可決されたことで1950年(昭和25年)8月28日事業着手され、同年10月7日起工された。総工費は1000万円で内、四分の一の250万円は本畠、武川外七町村が負担した。橋は日本初のコンクリート製の冠水橋(かんすいきょう)として架橋され。1951年(昭和26年)4月28日完成および開通した。橋長133メートル、幅員3.6メートル。増水時における水圧に対処するため、水面からの高さは2メートルと低くなっている。欄干は設置されなかった。道幅が狭いことから片側交互通行であった。大型車の通行は可能で、多い日は一日約500台の大型トラックが通過した。橋は河川区域内を通る左岸側の取り付け道路が橋面よりも低くなっていてその箇所が冠水しやすく、年に数回渡橋が不能になるため、1953年(昭和28年)村議会で橋を南側に延長するための請願書を県に提出する決議を行なった。県も橋の延長の必要性を認め、南側延長工事を行ない、昭和36年完了した。これにより橋の長さは175メートルに延長された。この橋の開通は沿岸両村の合併のきっかけとなり、1955年(昭和30年)2月11日両村は合併して両岸とも川本村となった。冠水橋は現在の永久橋が竣工した後も使用は継続されたが後に撤去された。現在、橋脚の痕跡がすぐ下流側の河道に存在している。
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