1950年代:アイゼンハワーとニクソン
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「アメリカ合衆国共和党の歴史」の記事における「1950年代:アイゼンハワーとニクソン」の解説
大戦後、保守派の孤立主義者たちは国際連合に頑強に反対し、共産主義拡大への反対運動にも乗り気ではなかった。彼らの考えでは、反共の砦となることは、国内での政府の支配・統制を強めることにつながるからであった。 1952年の大統領選挙で、共和党内の国際主義派は、保守派の領袖ロバート・タフトの孤立主義的外交政策に対抗するため、国際主義者でデューイ派に近かった、第二次大戦の英雄でNATO軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍の擁立を目論み、ヘンリー・カボット・ロッジ・ジュニア率いる小さな派閥がその説得に成功した。タフト派の支配下にある各地の共和党の影響力を削ぐために、アイゼンハワー派は全国に「アイゼンハワーを支持する市民」という草の根団体を立ち上げた。この団体は中道・国際主義政策を支持する改革派を増やすことで共和党の復興を目指すもので、アイゼンハワー以外には特に支持する候補を挙げず、地元に密着した勧誘活動や小規模集会を展開して民主党員や無所属の人々も歓迎し、アイゼンハワーの勝利に結びつけた。アイゼンハワーの大統領就任は20年に及んだ民主党のホワイトハウス独占を打ち破り、2期続いた。 アイゼンハワーはデューイやロッジ等穏健派の政策を取り、ニューディール政策を巻き戻そうとはせず、むしろ社会保障制度の充実と州間高速道路網の整備を実施した。一方、党関連の業務(全国委員会の運営や党の顔としての演説や資金集め等)については、多くの大統領とは異なり、基本的に副大統領のリチャード・ニクソンに任せていた。当選後のアイゼンハワーは「支持する市民」にもほとんど関心を向けなくなり、団体は当初の勢いを失った。伝統的な共和党員は彼ら新参者に疑いと敵意を向け、この運動が共和党そのものを盛り上げていく動きに発展することはなかった。
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