1942~43年
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「モーリー (DD-401)」の記事における「1942~43年」の解説
1942年の初め、モーリーはエンタープライズ及びヨークタウンと共に、マーシャル・ギルバート諸島機動空襲に参加、2月1日に攻撃を行い2月5日に真珠湾に戻った。2月15日、第16任務部隊に編成され、ウェーク島の攻撃に参加、3月10日にオアフ島に戻った。モーリーは4月まで対潜水艦および対空演習を実施し、哨戒任務を務めた。4月30日、モーリーは珊瑚海海戦にてヨークタウンとレキシントンを支援し、6月2日には第17任務部隊と合流、ミッドウェー海戦に参加した。ミッドウェー海戦ではアメリカ軍はハムマン及びヨークタウンを失うが、日本軍の空母4隻と巡洋艦を沈めた。 ミッドウェー海戦の後、部隊は真珠湾に1か月滞在した後、再び南太平洋に向けて出航、トンガを経由してソロモン諸島に向かい、ガダルカナル島の戦いに参加した。モーリーはその間エンタープライズの護衛を務めたが、8月24日と25日の第二次ソロモン海戦にてエンタープライズなどが大きな被害を受け、第16任務部隊はトンガへ退避した後に真珠湾に戻った。モーリーは10月26日に南太平洋海戦に参加、この戦闘でホーネットが失われた。 モーリーはその後10か月を駆逐艦第11師団に所属し、ソロモン海域にて対潜哨戒と空母及び護送船団の護衛行った。1943年8月6~7日のベラ湾夜戦ではフレデリック・ムースブラガー大尉の第31.2任部部群に配属され、ダンラップ及びクレイヴンと共に日本の駆逐艦を雷撃し、江風、萩風、荒を撃沈した。モーリーはサンペドロにて整備を行った後、第52任務部隊に配属されギルバート諸島沖航空戦に参加した。
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