1933年シルバーアローと終焉
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「ピアース・アロー」の記事における「1933年シルバーアローと終焉」の解説
詳細は「ピアース・シルバーアロー(英語版)」を参照 1933年、ピアース・アロー社は、富裕層にアピールするための最後の試みとして、斬新な流線型のシルバーアロー(ドイツ語版)をニューヨーク自動車ショーで発表した。この車は、「突然1940年がやってきた!」というキャッチコピーを掲げて発表され、一般大衆や自動車専門誌から好評を博した。ピアース社は5台を売り上げたが、世界恐慌の最悪の時期に1万ドル(現在の199,923ドルに相当)という価格であった事から、富裕層といえど高額の出費を躊躇した。ボディはスチュードベーカーで製造され、その後、低価格帯車種の展開を支援したが、ショーカーのような多くの豪華な装備を欠いており、それでも十分な売上を生み出す事ができなかった。 1936年、ピアース・アロー社はキャンピングトレーラー「ピアース・アロー・トラベルロッジ」を発売した。また、V12セダンのデザインを一新し、当時最も安全で豪華なセダンと言われた。 リオ・グランデ・サザン鉄道(英語版)は、5台のピアース・アローと2台のビュイックを、単端式気動車に変換し、自動車が事実上の鉄道車両になった。 これらの車両はじきにギャロッピンググースというニックネームで呼ばれるようになった。 これらの改造個体のほとんどは現存している。 ピアースは、パッカード・120(英語版)のようなキャッシュ・フローを確保するための低価格車種がない唯一の高級車ブランドであり、販売や開発に要する資金の目途が立たないまま、1938年に債務超過を宣言して閉鎖された。最後に組み立てられたピアース・アローは、同社のチーフエンジニアであったカール・ワイズが、同社の管財人から確保した部品を使って製作したものである。1938年10月に製造された40台のアローを含むピアース社の残りの資産は、1938年5月13日の金曜日に競売によって売却された。 ピアース・アローのV型12気筒エンジンを製造していた工場設備をシーグレーブ・ファイア・アパラタス(英語版)社が購入し、消防車の製造に用いた。
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