18代総選を前にした離合集散
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「韓国における政党史」の記事における「18代総選を前にした離合集散」の解説
前年12月の大統領選挙で勝利した李明博候補は2月28日、正式に第17代大韓民国大統領に就任した。就任直後の4月8日、第17代国会議員の任期満了に伴う国会議員総選挙が行われた。この総選挙を前に、新たに与党となったハンナラ党、野党に転落した民主新党、両党以外の政党を含めた離合集散が展開された。 表18:2008年1月11日現在の党派別議席数党派地域區比例代表合計大統合民主新党 114 23 137ハンナラ党 109 21 130民主労働党 1 8 9民主党 2 4 6国民中心党 4 0 4真の主人連合 1 0 1創造韓国党 1 0 1無所属 10 10合計24256298出典:〈정당별 의석수 변화(2004년-2008년)〉(政黨別 議席數 變化(2004年-2008年))、국회사무처(大韓民國國會事務處)『대한민국국회 60년사(大韓民國國會60年史)』、877頁を元に作成。 民主新党と民主党、統合 ウリ党の後継政党である民主新党は、進歩主義勢力の結集を図るべく民主党との大統領選挙候補者一本化と合同を模索し、一時は候補者一本化と両党の統合で合意(2007年11月12日)したが、統合後の党運営をめぐって対立し決裂(11月20日)、統合は白紙となった。その後、大統領選挙で惨敗した民主新党(孫鶴圭代表)は2月11日、民主党(朴相千代表)との統合を宣言、2008年2月17日に「統合民主党」(民主党)を正式に発足させた。この統合で、2003年にウリ党創党が原因で旧新千年民主党が分裂して以来、約4年5ヶ月ぶりに一つの政党に戻る形となった。 自由先進党の発足 大統領選挙で善戦した李会昌は保守新党を結成する意向を表明、1月の「自由新党」(仮称)の設立発起人大会を経て、2月1日に自由先進党(先進党)を結成した。同月12日、かねてから李会昌の新党に合流する意向を示していた元忠清南道知事の沈大平が率いる国民中心党と合併した。 民主労働党の分裂と進歩新党結成 前年の大統領選挙で同党の大統領候補である権永吉が、国会議席1議席のミニ政党である創造韓国党の文国現に差をつけられ5位に留まる不本意な結果となったことをきっかけに、親北朝鮮(親北)路線を採る自主派と、親北路線に批判的な平等派との対立が深まった。選挙後の党運営を担う非常対策委員会(非常委)で、親北路線からの決別、運動圏政党からの脱却、非正規社員など民主労総外の人々の支持も集めることができる党を目指す党改革案が否決されたことをきっかけに平等派党員の離党が相次いだ。そして3月2日、民労党を離党した魯会燦・沈相奵元議員を中心とした進歩新党が発足した。 親朴派公薦排除と「親朴連帯」結成。 18代総選挙をひかえ行われた公薦候補者審査の過程で現職候補者の多くが公薦を外された。政権を奪回後、初めて総選挙となるハンナラ党においても元党代表で李明博大統領と大統領候補の座を争った朴槿恵に近いグループ(親朴派)が公薦から脱落した。現に公薦審査を通過した公薦候補者の大半が親李派で、地域區候補者245名中157名を占めたのに対し、親朴派は44名に留まった。この点に強い不満を戴いた親朴派の議員は、3月17日にハンナラ党を離党して新党「親朴連帯」と「無所属連帯」を結成して、総選挙に挑んだ。
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