18代総選挙での敗北と再選挙での返り咲き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 08:00 UTC 版)
「鄭東泳」の記事における「18代総選挙での敗北と再選挙での返り咲き」の解説
翌2008年4月9日の第18代総選挙に際しては、ソウル特別市銅雀区乙選挙区から統合民主党の候補として、出馬したが、ハンナラ党の鄭夢準候補に敗れた。 選挙での落選後はアメリカに渡っていたが、2009年3月19日、同年4月末に行われる再補欠選挙にて、元の選挙区である全羅北道全州市徳津区選挙区から出馬する意向を明らかにした。これに対し、民主党は「全国政党化に逆行する動きだ」として、公薦を認めない決定をした。しかし、鄭氏は同党を離党した上で無所属で出馬することを表明、党内では党決定に反発する鄭氏に近いグループと党執行部に近いグループの間で対立の様相が深まった。 29日の再選挙では、無所属で出馬した鄭東泳候補が民主党候補を大差で破って当選し、返り咲きを果たした。また、同じ全州市の完山甲では同じ「無所属連帯」の辛建候補がやはり民主党候補を押さえて当選した。翌2010年2月10日、民主党党務委員会は、鄭東泳と辛建の復党を承認した。これによって、鄭東泳は昨年4月の補選で民主党を離党して以来、10ヶ月ぶりに復党した。民主党復党後、10月に行われた党指導部選挙に立候補し選挙の結果、8候補者中2位となり、党最高委員に就任した。民主党と市民統合党が統合して2011年12月に発足した民主統合党では常任顧問となった。2012年4月の第19代総選挙では自身の選挙区である全羅北道全州市を離れ、ソウル市江南区乙選挙区から立候補したが、得票を伸ばすことができず落選した。また同年12月末の大統領選挙では民主統合党の有力候補の一人と目されていたが、7月9日に不出馬表明した。
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