鼓阪尋常小学校・鼓阪尋常高等小学校
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「奈良市立鼓阪小学校」の記事における「鼓阪尋常小学校・鼓阪尋常高等小学校」の解説
1886年に発布された小学校令により、小学校を3年もしくは4年制の尋常小学校(尋常科)と4年制の高等小学校(高等科)に分け、始業と終業の期間を1月始業12月終業から4月始業3月終業に改めることになった。1887年、鼓阪小学校は尋常科を担当することとなり、名称を鼓阪尋常小学校に改称する。さらに、家庭の事情で尋常科に就学困難な児童のために授業料無料の簡易科が設置された。尋常科設置に伴い、校庭や教室が増築されている。1898年には市制施行による奈良市が誕生し、鼓阪尋常小学校は奈良市の尋常小学校となった。1900年には小学校令が再度改正され、尋常小学校が4年制に統一され、義務教育化された。さらに、尋常小学校では授業料を徴収しないことになった。 1897年ごろ、鼓阪尋常小学校では修身、読書、作文、習字、算術、体操、図画、唱歌の教科があった。児童は和紙を綴じた学習ノートに筆で記録を取りながら学習に取り組んだ。算術などの授業には筆記に誤りがあっても取り消せるように石盤や黒塗りした三ツ折の厚紙に石墨を用いて筆記していた。 先に述べた1900年の小学校令改正では高等小学校が2年もしくは4年制に改められた。文部省は尋常小学校に2年制の高等小学校を併置することを奨励していた。この流れに呼応して1904年、鼓阪尋常小学校に2年制の高等小学校が併置され、校名を鼓阪尋常高等小学校に改めた。さらに1905年には鼓阪実業補習学校が併置される。実業補習学校は日露戦争後の産業活況に対して即戦力となる人材の養成を担う目的で、奈良県が県下の小学校への併置を奨励した2年制の学校である。鼓阪実業補習学校は義務教育年限が6年に延長された翌年の1908年まで続いた。 1905年には奈良県学齢児童の就学率は99%に達していた。 1907年に再度小学校令が改正され、尋常小学校が6年制となり、義務教育年限が6年に延長された。従来の高等小学校は尋常小学校 5, 6 年に統合され、尋常小学校の上に2年もしくは3年制の新しい高等小学校を設置することになった。鼓阪尋常高等小学校の高等科は尋常科に統合された。課程が2年間伸びた分、児童数が自然増加したため1910年には教室を二つ増築した。しかし、新しい高等小学校はしばらく設置されなかった。新しい高等小学校が設置されるのは1922年まで待つことになる。その他1907年の小学校令では、進級・卒業が試験による認定から成績考査による認定に変更された。
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