鼓阪小学校の誕生とは? わかりやすく解説

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鼓阪小学校の誕生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 21:31 UTC 版)

奈良市立鼓阪小学校」の記事における「鼓阪小学校の誕生」の解説

北御門小学校校舎である五劫院老朽化狭さ憂い奈良県第1大区第1小区有志新学校を求め活動行った活動実を結び1878年7月5日東大寺惣持院建物建具庭石などの一切東大寺から譲受する契約書交わされた。契約成立後北御門小学校直ち移転開始し東大寺惣持院所在する雑司町字鼓阪という地名から校名を鼓阪小学校改称する。 同じ1878年、笹鉾町会所設置されていた裁縫学校を鼓阪小学校移し裁縫科が設けられた。このとき裁縫科の教壇立った立花孝子奈良県初の女性教師であるとされる1882年ごろの学校の様子申告した資料を見ると、校区内の人口は4843人で、そのうち学齢児童が827人(男: 411、女: 416)存在したそのときの鼓阪小学校の生徒数は495人(男: 269、女: 226となっており、就学率は約60%であった校地は2反8歩(約2000m2)で建物が6棟存在した一年間学校経費は 1169円80銭、このうち40383銭は校区内の各戸、1戸平均約2円3銭の拠出金で賄われていた。職員教員2名、補助員8名、助手1名ですべて男性であった1883年には分校の東之坂小学校本校統合された。

※この「鼓阪小学校の誕生」の解説は、「奈良市立鼓阪小学校」の解説の一部です。
「鼓阪小学校の誕生」を含む「奈良市立鼓阪小学校」の記事については、「奈良市立鼓阪小学校」の概要を参照ください。

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