黒須 成美

芸名 | 黒須 成美 |
芸名フリガナ | くろす なるみ |
性別 | 女性 |
生年月日 | 1991/10/22 |
星座 | てんびん座 |
干支 | 未年 |
血液型 | B |
出身地 | 茨城県 |
身長 | 160 cm |
ブログURL | http://ameblo.jp/kurosu-narumi/ |
プロフィール | 1991年10月22日。茨城県下妻市生まれ。小学1年生より水泳を始め、小学6年生の時、父に誘われて出場した近代五種育成大会で初出場にして優勝という快挙を遂げる。その後、中学2年生の時に男子競技の迫力に感動し、本格的に取り組むようになる。2006年アジア選手権では、日本人女子史上最高位の5位入賞。翌年の北京五輪予選を兼ねたアジア選手権では、五輪出場のプレッシャーがかかる中、15歳の若さで出場したが世界の壁は厚く、北京五輪出場は果たせなかった。しかし、生来の負けず嫌いの性格でその後も急速な成長を遂げ、得意な水泳と、世界と対等に戦える馬術技術で頭角をあらわし、2010年に初めて開催された第1回女子近代五種全日本選手権大会で見事初代優勝を手にする。2011年の第2回女子近代五種全日本選手権大会でも優勝。圧倒的な強さを見せ、連覇を果たす。2011年6月に行われたアジア選手権では、6位に入り、繰上げで夢であったロンドン五輪出場を決めた。日本人女子として初めての競技者で、海外の大会では出場選手の中でひときわ若くて小柄だが、国内外から注目を浴びている。東海東京証券株式会社所属。スポンサーは、Mizuno(物品提供)。 |
職種 | スポーツ |
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黒須成美
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 02:19 UTC 版)
個人情報 | |
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フルネーム | 黒須 成美 |
国籍 | ![]() |
生誕 | 1991年10月22日(33歳)![]() |
身長 | 159 cm (5 ft 3 in) |
体重 | 52 kg (115 lb) |
スポーツ | |
国 | ![]() |
競技 | 近代五種 |
黒須 成美(くろす なるみ、1991年10月22日 - )は、日本の女子近代五種選手。茨城県下妻市出身。東海東京証券株式会社所属。父の黒須秀樹も同じく近代五種選手。
経歴・人物
下妻市立上妻小学校の1年生時より水泳を行っていたが6年時より父親の影響で近代五種を始めた。下妻市立下妻中学校在籍時の2006年にアジア選手権で5位入賞を果たす。
つくば秀英高等学校在学中であった北京オリンピックの予選である2007年のアジア選手権は、東京の馬事公苑で開催されることから銃刀法の問題により出場が危ぶまれたものの、父秀樹の奔走により特例で出場が決まった。だが、馬術競技で時間切れとなるなど16位に終わり、日本女子初のオリンピックの近代五種競技出場はならなかった[1]。
2011年3月、実家があり練習拠点だった下妻市の施設が東日本大震災で被災した。以前から顔見知りだった朴正七( 韓国コーチ)が施設の提供を申し入れた[2]。急遽釜山に飛んだ黒須はトレーニングに集中することができ、同年5月のアジア・オセアニア選手権で6位入賞を果たし、山中詩乃とともに日本人としては初めて、女子近代五種でのロンドンオリンピック出場権を獲得した。
2012年ロンドンオリンピックでは馬術での落馬などの困難を乗り越えて完走、完走した選手の中では最下位となる34位であったが、五輪最後の種目の最終ゴールを切った選手として大声援を浴びた。ゴール後には「私にとっての勝利は、今、私がここにいること、そのものです。みんなに、決して諦めない心を伝えられたらと思います」と言うコメントを残した[3][4]。
出典
- ^ 近代五種をメジャーに 世界に挑戦する黒須成美さん2007年6月16日(常陽リビング)
- ^ 朝日新聞 2012年7月14日朝刊14版 22ページ
- ^ 五輪最後のイベントは、轟音(Roar)によって締めくくられた - Accuracy Laboratory ~あきゅらぼ~
- ^ Final Event of the Games Concludes With a Roar - ニューヨーク・タイムズ 2012年8月12日
外部リンク
- ジャパン・スポーツ・マーケティング - ジャパン・スポーツ・マーケティング/マネジメント会社
- 毎日放送「情熱大陸」
固有名詞の分類
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