鶴岡争奪戦
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「南海蔭山新監督急死騒動」の記事における「鶴岡争奪戦」の解説
南海ホークスを退団した鶴岡に対しては、東京オリオンズとサンケイ・スワローズの2球団が監督就任を要請すると表明した。鶴岡の南海退団が正式決定した11月8日、東京オリオンズオーナーの永田雅一が大映本社で記者会見し、「鶴岡君獲得のため、10日に大阪へ行く予定だ」と話して鶴岡の監督就任を正式に要請することを表明した。永田は当時、パシフィック・リーグの総裁も兼任しており、リーグ繁栄のためには鶴岡をパ・リーグに残留させることが必要だと説いた。東京に続いて翌9日にはサンケイ・スワローズ球団社長の友田信も本社内で記者会見を開き、鶴岡獲得を目指すことを正式表明した。 永田は予定通り、11月10日午後に飛行機で大阪入りした。伊丹空港で記者会見を開き、「壷田オーナーに了解を得ることと、パ・リーグに残ってくれるよう頼みたい」と語った。永田は11日、南海電鉄本社の壷田を訪ねて了解を得た後そのまま鶴岡の自宅を訪ね、東京オリオンズの監督就任を要請した。会談後、鶴岡は記者団に対し「監督就任を要請された。永田さんの次にサンケイの水野社長と明日会う予定だが、二人とも会うのは一回だけにしたい。今日、永田さんの条件を聞いて、明日水野さんに条件を聞いたうえで、これまで世話になった人とも相談してどちらかに決める」と語った。翌12日には大阪市北区の大阪グランドホテルにてオーナーの水野成夫と会い、正式にサンケイ監督の就任を要請された。鶴岡は永田、水野と会談した際、同じ内容で入団条件や選手の補強方針などを問いただした。 東京、サンケイの両者と会談した鶴岡は、11月13日午前中に南海電鉄本社内で行われた蔭山、壷田、新山との話し合いの後に報道陣に対し「どちらを選ぶかは16日か17日までに決める。決まった場合は東京で発表したい」と語った。鶴岡はこの後、友人や関係者に相談した。球団を決める期限となった16日、大阪市難波の旅館「新常盤」にて午前中から夕方まで協議を重ねた。「新常盤」には多数の報道陣が詰めかけ、鶴岡の動静を見守った。午後1時頃、鶴岡の代理として友人が姿を見せ、「まだ決めかねて白紙の状態」と語ったが、午後4時を過ぎてから鶴岡本人が姿を見せた。この時の鶴岡には安堵の表情が見られ、球団名は明かさなかったものの、集まった報道陣に「十七日午前に東京へ向かい、午後4時に旅館『神宮橋』でいままでの経緯と球団を発表する」と語った。 だが、17日の当日、思わぬ事態が発生する。
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