鳥取県中部でのスイカ栽培の歴史
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「がぶりこ」の記事における「鳥取県中部でのスイカ栽培の歴史」の解説
鳥取県中部の倉吉平野は砂地が多く、古くからスイカの栽培が盛んな地域である。近世から栽培が行われていたが、生産が本格化したのは1897年(明治30年)にさかのぼり、当時の八橋郡八橋村(合併により、2017年には東伯郡琴浦町の一部)で商業生産が始まっている。当時、この地区のスイカは「大山スイカ」として西日本、特に関西地区で人気を博した。 戦後は他の生産地との競争から、出荷時期を早めるためにハウス栽培が主流になった。鳥取県内の野菜としてはスイカは生産量1位、産出額2位(2008年)である。全国的には、鳥取県は熊本県、千葉県、山形県に次いで生産量全国4位の位置にいて、出荷時期では熊本県に次ぐ早熟産地となっていて、6月の上旬から出荷が本格化する。 県内の主な生産地・ブランドは、倉吉平野中央の東伯郡大栄町(2005年に北条町と合併して北栄町となる)の「大栄スイカ」(2008年(平成20年)に商標登録)、倉吉平野南部の倉吉市「倉吉スイカ」、東伯町(2004年に赤碕町と合併して琴浦町となる)の「東伯スイカ」などである。 1994年(平成6年)に大栄町で「世界すいかサミット」を開催し、これを機に県内のスイカ栽培の集中基地として整備が進められた。鳥取県園芸試験場では「世界すいか遺伝資源銀行」を設けて世界中のスイカのDNA情報を収集している。 2005(平成17年)からは、東伯郡琴浦町で「がぶりこ」の生産が本格化した。2012年(平成24年)には町内のスイカ栽培面積約10ヘクタールのうち、7割以上を占めるまでになった。2014年(平成26年)から関東圏への出荷もはじまった。 2017年(平成29年)の時点では17戸の農家による作付面積が6.5ヘクタールとなり、栽培面積が日本一である。
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