高岩山のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 00:25 UTC 版)
「高岩神社 (能代市)」の記事における「高岩山のその後」の解説
秋田市山内田中の補陀寺(曹洞宗)の11世天室蒼龍和尚は密乗寺廃寺を憂い、1584年に荷上場村に梅林寺を再興した。その際、宗派を曹洞宗に改めている。1681年高岩山御堂が焼失、1683年には残された密乗寺が落ち武者の失火から焼失した。その後、高岩山はこの地区共通の霊場として修験者の修行の場となっていた。しかし、明治5年1872年に修験道も禁止されることになった。 現在小正月には男若水裸参りが行われているが、この行事は戦時中に徴兵検査前の若者が武運や無事を祈願する為に行われていたものであった。戦後、若者の減少、流出などで1957年から途絶えていたが1990年に神社の再興を願って荷上場青年会が復活させた。さらしの下帯姿に白足袋・わらじを履き、藤琴川に入り手桶で冷水を頭からかぶり身を清めた後、賽銭を握りしめ、無言で約4km先の高岩神社まで登り、お払いを受け、無病息災・家内安全を祈願する。この行事への参加者は、地元の若者だけでなく観光客で参加する人や、遠くから参加しにくる人も多い。裸参りを3年続けて行うと願い事が叶うともされている。 また、現在この裸参りに合わせて高岩山万燈夜が行われている。これは参道からの山肌にかけて雪灯籠をともし、東日本大震災の犠牲者追悼と早期復興を祈願するものである。雪月夜にあたり一面に輝く雪灯篭の神秘的な風景が現れる。
※この「高岩山のその後」の解説は、「高岩神社 (能代市)」の解説の一部です。
「高岩山のその後」を含む「高岩神社 (能代市)」の記事については、「高岩神社 (能代市)」の概要を参照ください。
- 高岩山のその後のページへのリンク