高位の武士階級の流刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 16:15 UTC 版)
幕府はこのほか、改易に処した大名・旗本の当人や相続者を含む親族、外様や親藩譜代を問わず諸藩のお家騒動において、幕府の裁定が下って処罰された場合の各藩の事件当事者らを、遠方の諸藩に預とする処分をしばしば下した。幕府や大名家を揺るがせた騒動においては、流罪とされるのは武士だけではなく、商人や農民階級のものも含まれた。 処分者の待遇は事件ごとにまちまちであった。厳しい例では、藩領内や居城内に造られた牢屋敷・流人屋敷と呼ばれるような特設の軟禁施設に置かれ、藩士の厳しい監視下の下で質素な暮らしを強いられると共に、他者との面会はおろか日中の行動も制限され、数間の座敷にただ正座して日々を過ごす、書物や筆記具も与えられず、冬でも暖房器具や厚手の服も与えられず、などの話が伝わる。これらは全て、流刑を命じた幕府が許可を出すものであり、流刑者に対する扱いは各藩で勝手に決めることができなかったためでもある。例えば筆ひとつ差し入れするためにも、幕府の担当者の指示および許可を仰がねばならなかった。これを現地の判断で勝手に行うと、それは預けを命じられた藩の科となってしまうためである。しかし、厳重な監視下に置かれた例ばかりではなく、「客人」「客将」扱いで、それなりに丁寧に遇されたり、藩領内は自由に行動することを許されたり、藩士との交流が認められる場合、また世話をするいわば側室的な存在を宛がわれる場合もあった。また、その子孫が当該の藩に土着し、藩士として雇用されることもあった。当然ながら当人が存命中に赦免され、江戸に召還されて再度武士として雇用されたり、当人や子孫が大名や旗本、または主に親族の藩の藩士として復帰したケースもある。
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