館林市指定重要文化財
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「尾曳稲荷神社」の記事における「館林市指定重要文化財」の解説
秋元泰朝所用具足(卯花糸威金箔伊予札胴具足) 秋元家中興の祖と謳われる2代泰朝着用の甲冑(当世具足)と伝えられ、大坂夏の陣に着用したものとされる。兜には半月形に似た前立があり、吹返し部分には秋元家家紋である源氏車紋が記されている。胴は金箔の小札を施した桶側胴で、腹と背に漆塗で日輪が描かれ、銀字で腹には「八幡大菩薩」、背には「南無阿弥陀仏」と描かれている。秋元家の館林入封から明治までは館林城三の丸千貫門に安置されていたと伝わり、明治の廃藩後は旧藩士によって鷹匠町の瓜内稲荷神社御神体とされた。後に瓜内稲荷神社の当社への合祀に伴い、この具足も当社に奉納され、2019年現在は館林市第一資料館に保管されている。 館林城絵馬 浮世絵師・北尾重光の描いた作品で、1863年(明治6年)に、連雀町の末広屋佐平はじめ12人の商人が奉納したものである。縦97cm、横120cmの扁額の桐板に、江戸時代は描くことが禁止された館林城内を含む城下町一帯が華やかに描かれている。絵馬が描かれた翌1864年(同7年)には館林城が焼失しているため、同城を空間的に表現した唯一のものとなっている。絵の上方には「奉納」「尾引城之図」、右には「明治六癸酉九月吉日」「明治六癸酉仲秋日画 渓斎北尾重光筆」と墨書きされており、左下には12人の商人と願主の名前が記されている。 明治戊辰戦争磐城進撃絵馬 作者は北尾重光で、縦120cm、横170cmの上部屋根型の絵馬。絵の上方には山並み、左には市街と燃える城、右側には29人の兵士と郷夫数人、中央では金色の幣束の下で狐3匹と柳が色鮮やかに描かれている。戊辰戦争で館林藩が会津に進撃した時の様子を描いており、燃える城は若松城と考えられる。絵馬左下には「明治紀元歳次戊辰九月依朝命岩代国江進撃之図 明治二己巳稔二月初午 館林本営附再拝」、右下には「明治二己巳初春日写 渓斎北尾重光筆」と墨書きされている。 明治戊辰戦争凱旋絵馬 作者は北尾重光で、縦79cm、横113cmの上部屋根型の絵馬。奥に尾曳稲荷神社、手前に歩兵銃を担いだ22人の兵士が2列横隊に並び、左に隊長と鼓士1名が描かれている。絵馬左下には「明治元年戊辰対会凱旋而奉之」と記され、隊長の土屋勝蔵と22名の兵士の名が列記されている。右下には「明治二己巳仲春日写 渓斎北尾重光筆」と墨書きされている。
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