館林市指定重要文化財とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 館林市指定重要文化財の意味・解説 

館林市指定重要文化財

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/06 10:32 UTC 版)

尾曳稲荷神社」の記事における「館林市指定重要文化財」の解説

秋元泰朝所用具足卯花糸威金箔伊予札具足秋元家中興の祖謳われる2代泰朝着用甲冑当世具足)と伝えられ大坂夏の陣着用したものとされる。兜には半月形に似た前立があり、吹返し部分には秋元家家紋である源氏車紋が記されている。胴は金箔小札施した桶側胴で、腹と背に漆塗日輪描かれ、銀字で腹には「八幡大菩薩」、背には「南無阿弥陀仏」と描かれている。秋元家館林入封から明治までは館林城三の丸千貫門安置されていたと伝わり明治廃藩後旧藩士によって鷹匠町の瓜内稲荷神社御神体とされた。後に瓜内稲荷神社当社への合祀に伴い、この具足当社奉納され2019年現在館林市第一資料館保管されている。 館林城絵馬 浮世絵師北尾重光描いた作品で、1863年明治6年)に、連雀町末広屋佐平はじめ12人の商人奉納したのである。縦97cm、横120cmの扁額桐板に、江戸時代は描くことが禁止され館林城内を含む城下町一帯華やかに描かれている。絵馬描かれた翌1864年(同7年)には館林城焼失しているため、同城を空間的に表現した唯一のものとなっている。絵の上方には「奉納」「尾引城之図」、右には「明治癸酉九月吉日」「明治癸酉仲秋日画 渓斎北尾重光筆」と墨書きされており、左下には12人の商人願主の名前が記されている。 明治戊辰戦争磐城進撃絵馬 作者北尾重光で、縦120cm、横170cmの上部屋根型の絵馬。絵の上方に山並み、左には市街燃える城、右側には29人の兵士と郷夫数人中央では金色幣束の下で3匹とが色鮮やかに描かれている。戊辰戦争館林藩会津進撃した時の様子描いており、燃える城は若松城考えられる絵馬左下には「明治紀元歳次戊辰九月朝命岩代国進撃之図 明治己巳二月初午 館林本営再拝」、右下には「明治己巳初春日写 渓斎北尾重光筆」と墨書きされている。 明治戊辰戦争凱旋絵馬 作者北尾重光で、縦79cm、横113cmの上部屋根型の絵馬。奥に尾曳稲荷神社手前歩兵銃担いだ22人の兵士が2列横隊並び、左に隊長と鼓士1名が描かれている。絵馬左下には「明治元年戊辰対会凱旋而奉之」と記され隊長土屋勝22名の兵士の名が列記されている。右下には「明治己巳仲春日写 渓斎北尾重光筆」と墨書きされている。

※この「館林市指定重要文化財」の解説は、「尾曳稲荷神社」の解説の一部です。
「館林市指定重要文化財」を含む「尾曳稲荷神社」の記事については、「尾曳稲荷神社」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「館林市指定重要文化財」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「館林市指定重要文化財」の関連用語

1
北尾重光 百科事典
14% |||||

2
尾曳稲荷神社 百科事典
8% |||||

館林市指定重要文化財のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



館林市指定重要文化財のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの尾曳稲荷神社 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS