電子音楽、現代音楽について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/06 00:23 UTC 版)
「ヨハネス・フリッチュ」の記事における「電子音楽、現代音楽について」の解説
電子音楽の作曲(制作)では、発信器や変調器などを調整してひとつの音を作り出すために丸一日を費やすこともあるが、このプロセスこそ音楽にとって重要な要素だとしている。1980年代から一般に普及した音源機器としてのシンセサイザーについては、利便性の向上によりかえってそのプロセスを希薄にしてしまうことから、これは「進化」ではないと述べている。1970年代後半から始まったデジタル技術の普及、それに続くコンピューターの役割についてはその利便性を「悪魔の仕業」ということばを使って皮肉を込めながら認め自らも使用していた。、しかしそれでもコンピューターやシンセサイザーが機能的なスイッチ類によって規格的な機器になっている点を好ましく思っていなかったため、晩年になっても書き物などは手書きであった。数千年にわたり楽器がつくられてきた伝統は、音楽をやりたいという音楽家たちによってなされてきたものであるが、こんにちの業界ではオートバイで稼ごうがシンセサイザーで稼ごうが同じになってしまったと危惧した。1988年の京都での講演に寄せて「演奏者と音の間の疎外は、粗暴化と同時に進行する。シンセサイザーとエミュレーターを使って、人工的な音をデジタルな反響空間に鳴り響かせるキーボード奏者は、気持ちの上では、ボタンを押して爆弾を送り込むいじけた兵隊に似ている」と書いている。これは、昔の兵士は手に持った刃物で敵を傷付けねばならず、この両者を人間の行為としてのプロセスで比較した場合に後者がいかに生々しいものであるかという問いかけで、フリッチュはこのように、音楽はあくまでも人間の行為の結晶であるとして広く現代音楽への理解を深めるようとつとめた。
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