電報の「編集」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 02:58 UTC 版)
国王からの電報は次の通りで、後半は侍従による文言である。 ※出典原文は旧漢字ベネデツイ伯は、―終に最も強要的態度にて― ホーヘンツォレルン家の候補者再燃の場合にも、余が将来永久に決して 余の承認を与へざるべき旨の言質を与へたる旨 電報すべき権限を彼に与へたる旨を 余に求めんがために、散歩道に於いて余を襲ひたり。余は結局 彼をやや厳峻に拒絶したり、何となれば かかる絶対にとの約は、為すべからず 又 為す能はざるものなればなり…故に陛下は オイレンベルク伯並びに小官の言上に従はれ、再びベネデツイ伯を引見せられざる旨 並びに ベネデツィ伯がパリより接受したる以上の報道を入手せざるゆゑ、も早やこの上 足しに語るべき何物もなき旨を、侍従武官として告げしむべき旨を 決心せられたり。陛下は、このベネデツィの新申出 並びに その拒絶を、猶予なく我が在外使臣 並びに 新聞に通報する方 可ならざるか否かの決定を、閣下に委せる旨 申渡されたり — 鶴見祐輔、大日本雄辯會講談社『英雄天才史傳 ビスマーク』p.240 前段で、ベネデッティ伯が散歩道に現れ「最も強要的な態度」でヴィルヘルム1世に対し、「ホーエンツォレルン家(によるスペイン王位継承)の候補者問題が再燃した場合」も、プロイセン国王が「将来永久に(王位受諾の)承認を与えない旨の言質を(ベネディッティ伯に)与え」かつそれを「(ベネディッティ伯が本国等に)電報で送信する権限を与える」ことを求めた事実、そして、これに対し国王が「絶対に(王位受諾の承認を与えない)と約束することは、するべきではなく、又、することもできない」ため「やや厳しい態度で拒絶した」事実を伝えている。 そして後段で、国王がベネデッティ伯と二度と引見しないこと及び引見が無意味であることを決心し、ベネデッティ伯の申出とその拒絶を、在外の大使・公使、新聞を通じて公表すべきか否か、その判断をビスマルクに委任している。 ビスマルクはその場で、モルトケに軍の準備状況を尋ねると、モルトケは早期の開戦を提案した。そこでビスマルクは、電報の一部を意図的に省略し、次のようにした。 ※出典原文は旧漢字既にホーヘンツォレルン家の親王が スペイン王位相続の意思を放棄されたること、スペイン国政府よりフランス政府に 公式に伝達せられたる後、フランス大使はエムスに於いて、我が国王に更に求めて、国王陛下がホーヘンツォレルン家の候補者再燃の場合にも、将来永久に亘り、その承認を与へざるべき旨の言質を 与へられたる由を、パリに電報すべき儀に関し 申し出でたり。茲に於いて 国王陛下は 爾後フランス大使を引見することを拒絶せられ、 且つ当直の侍従武官に、陛下はこれより以上、大使に伝達すべき何物もなき旨 告ぐべきことを 命令せられたり — 鶴見祐輔、大日本雄辯會講談社『英雄天才史傳 ビスマーク』p.242 ビスマルクは、このように、非礼なフランス大使が、プロイセン国王に将来にわたる立候補辞退を強要し、それに立腹した国王が大使を強く追い返したように文面を編集した。編集の場に居合わせたモルトケとローンは、喜んだ。しかも、新しい文字を挿入することなく、かつ、その公表も委任されていることから、越権でもなかった。 ビスマルクは、編集した電報をモルトケとローンに読み聞かせると、直ちに在外大使・公使に電報を送り、また外務省に記者を集め、電報を公表した。
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