雙軒庵売立
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九州電気軌道が枩蔵から収受した書画・骨董品は景気の回復を待って売立会(入札会)にかけられ、まず1933年6月26日に270品を出品して大阪美術倶楽部にて第1回売立会(270点)が開催された。このときの出品物(軸装書画146、 画冊・巻物・扇子類22、額装書画10、屏風・衝立8、陶磁器など工芸品84)の目録は枩蔵の雅号から「雙軒庵美術集成図録」と題され、名品ぞろいであったことから美術書としても有名になった。とくに田能村竹田、頼山陽を多く集めたことで知られ、仁清色絵藤花文様壺(現・熱海MOA美術館所蔵)や芸阿弥の「瀧山水」(現・根津美術館所蔵)など、国宝・重文級も含まれ話題となった。売立会は盛況で、第1回売立の売上総額は267万円余りに及んだ。 続いて大雅・蕪村の「十便十宜帖」、田能村竹田の「船窓小戯帖」など300点余りの書画・骨董品を東京に持ち込み、同年10月11日に第2回売立会を東京美術倶楽部で開催した。この売立も盛況で、売上総額は186万円余りとなった。翌1934年(昭和9年)1月22日に最後の大規模な売立会が同じく東京で開催され、200点を出品、雑品販売とあわせて43万円余りの売り上げとなった。在庫の書画・雑品は会社のある小倉市内で売立会を開いて処分した。こうして九州電気軌道が処分した枩蔵私財の売上総額は501万8,336円に達し、その売却益は会社再建の一助とされた。 晩年の枩蔵は兵庫県西宮市近郊に居を構えており、そこで1936年(昭和11年)2月20日に死去した。満65歳没。長男の重治によると、自身が相続した枩蔵の遺産は12円50銭だけであったという。
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