雙軒庵売立とは? わかりやすく解説

雙軒庵売立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:23 UTC 版)

松本枩蔵」の記事における「雙軒庵売立」の解説

九州電気軌道が枩から収受した書画骨董品景気回復待って立会入札会)にかけられ、まず1933年6月26日270品を出品して大阪美術倶楽部にて第1回立会270点)が開催された。このときの出品物(軸装書画146、 画冊・巻物扇子22額装書画10屏風衝立8、陶磁器など工芸品84)の目録は枩雅号から「雙軒庵美術集成図録」と題され名品ぞろいであったことから美術書としても有名になった。とくに田能村竹田頼山陽多く集めたことで知られ仁清色絵藤花文様壺(現・熱海MOA美術館所蔵)や芸阿弥の「瀧山」(現・根津美術館所蔵)など、国宝重文級も含まれ話題となった。売立会盛況で、第1回売立の売上総額267万円余りに及んだ続いて大雅蕪村の「十便十宜帖」、田能村竹田の「船窓小戯帖」など300余り書画骨董品東京持ち込み同年10月11日第2回立会東京美術倶楽部開催した。この売立も盛況で、売上総額186万円余りとなった。翌1934年昭和9年1月22日最後大規模な立会同じく東京開催され200点を出品雑品販売あわせて43万円余り売り上げとなった在庫書画雑品会社のある小倉市内で売立会開いて処分した。こうして九州電気軌道処分した私財売上総額5018,336円に達し、その売却益会社再建一助とされた。 晩年の枩兵庫県西宮市近郊に居を構えており、そこで1936年昭和11年2月20日死去した。満65歳没。長男の重治によると、自身相続した遺産1250銭だけであったという。

※この「雙軒庵売立」の解説は、「松本枩蔵」の解説の一部です。
「雙軒庵売立」を含む「松本枩蔵」の記事については、「松本枩蔵」の概要を参照ください。

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