雑集聖武天皇の七七忌に光明皇后は先帝の冥福を祈って、珍宝、遺蔵品をまとめて東大寺大仏に献納した。この一巻もその一つで、『東大寺献物帳』所載の品である。本文は中国六朝隋唐の仏教に関する詩文140数首を抄録したもので、白麻素紙に楷書体で毎行18字、天地に横罫があり、全長30張の長巻である。奥書に「天平三年九月八日写了」とあり、天皇31歳の書である。書風は王羲之の『楽毅論』に通じ、褚遂良風とも言われる。なお、抄録された詩文は、いずれも中国ではすでに失われた詩文で、文学及び仏教資料的価値も高い。聖武天皇の自筆として確実なものは、他に静岡・平田寺の『聖武天皇勅書』中の「勅」の1字のみである。大聖武とは? わかりやすく解説

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雑集(ざっしゅう)(正倉院宝物)聖武天皇の七七忌(四十九日)に光明皇后は先帝の冥福を祈って、珍宝、遺蔵品をまとめて東大寺大仏に献納した。この一巻もその一つで、『東大寺献物帳』所載の品である。本文は中国六朝隋唐の仏教に関する詩文140数首を抄録したもので、白麻(はくま)素紙に楷書体で毎行18字、天地に横罫があり、全長30張(27×2135cm)の長巻である。奥書に「天平三年九月八日写了」とあり、天皇31歳の書である。書風は王羲之の『楽毅論』(がっきろん)に通じ、褚遂良風とも言われる。なお、抄録された詩文は、いずれも中国ではすでに失われた詩文で、文学及び仏教資料的価値も高い。聖武天皇の自筆として確実なものは、他に静岡・平田寺の『聖武天皇勅書』(国宝)中の「勅」の1字のみである。大聖武(東大寺ほか蔵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 05:47 UTC 版)

宸翰」の記事における「雑集ざっしゅう)(正倉院宝物聖武天皇七七忌(四十九日)に光明皇后先帝冥福祈って珍宝、遺品をまとめて東大寺大仏献納した。この一巻もその一つで、『東大寺献物帳所載の品である。本文中国六朝隋唐仏教に関する詩文140数首を抄録したもので、白麻(はくま)素紙に楷書体で毎行18字、天地横罫があり、全長30張(27×2135cm)の長巻である。奥書に「天平三年九月八日写了」とあり、天皇31歳の書である。書風王羲之の『楽毅論』(がっきろん)に通じ褚遂良風とも言われる。なお、抄録された詩文は、いずれも中国ではすでに失われた詩文で、文学及び仏教資料的価値も高い。聖武天皇自筆として確実なものは、他に静岡平田寺の『聖武天皇勅書』(国宝)中の「勅」の1字のみである。大聖武東大寺ほか)」の解説

荼毘紙(真弓紙)に書かれ奈良時代大文字写経である。古来聖武天皇の筆と伝承され、字粒が大きいことから「大聖武」と称して珍重されるが、上記雑集」とは異筆である。東大寺戒壇院伝来したもので、東大寺東京国立博物館前田育徳会白鶴美術館巻子本として所蔵されるほか、古筆手鑑などに断簡みられる

※この「雑集(ざっしゅう)(正倉院宝物)聖武天皇の七七忌(四十九日)に光明皇后は先帝の冥福を祈って、珍宝、遺蔵品をまとめて東大寺大仏に献納した。この一巻もその一つで、『東大寺献物帳』所載の品である。本文は中国六朝隋唐の仏教に関する詩文140数首を抄録したもので、白麻(はくま)素紙に楷書体で毎行18字、天地に横罫があり、全長30張(27×2135cm)の長巻である。奥書に「天平三年九月八日写了」とあり、天皇31歳の書である。書風は王羲之の『楽毅論』(がっきろん)に通じ、褚遂良風とも言われる。なお、抄録された詩文は、いずれも中国ではすでに失われた詩文で、文学及び仏教資料的価値も高い。聖武天皇の自筆として確実なものは、他に静岡・平田寺の『聖武天皇勅書』(国宝)中の「勅」の1字のみである。大聖武(東大寺ほか蔵)」の解説は、「宸翰」の解説の一部です。
「雑集(ざっしゅう)(正倉院宝物)聖武天皇の七七忌(四十九日)に光明皇后は先帝の冥福を祈って、珍宝、遺蔵品をまとめて東大寺大仏に献納した。この一巻もその一つで、『東大寺献物帳』所載の品である。本文は中国六朝隋唐の仏教に関する詩文140数首を抄録したもので、白麻(はくま)素紙に楷書体で毎行18字、天地に横罫があり、全長30張(27×2135cm)の長巻である。奥書に「天平三年九月八日写了」とあり、天皇31歳の書である。書風は王羲之の『楽毅論』(がっきろん)に通じ、褚遂良風とも言われる。なお、抄録された詩文は、いずれも中国ではすでに失われた詩文で、文学及び仏教資料的価値も高い。聖武天皇の自筆として確実なものは、他に静岡・平田寺の『聖武天皇勅書』(国宝)中の「勅」の1字のみである。大聖武(東大寺ほか蔵)」を含む「宸翰」の記事については、「宸翰」の概要を参照ください。

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雑集聖武天皇の七七忌に光明皇后は先帝の冥福を祈って、珍宝、遺蔵品をまとめて東大寺大仏に献納した。この一巻もその一つで、『東大寺献物帳』所載の品である。本文は中国六朝隋唐の仏教に関する詩文140数首を抄録したもので、白麻素紙に楷書体で毎行18字、天地に横罫があり、全長30張の長巻である。奥書に「天平三年九月八日写了」とあり、天皇31歳の書である。書風は王羲之の『楽毅論』に通じ、褚遂良風とも言われる。なお、抄録された詩文は、いずれも中国ではすでに失われた詩文で、文学及び仏教資料的価値も高い。聖武天皇の自筆として確実なものは、他に静岡・平田寺の『聖武天皇勅書』中の「勅」の1字のみである。大聖武のお隣キーワード

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雑集聖武天皇の七七忌に光明皇后は先帝の冥福を祈って、珍宝、遺蔵品をまとめて東大寺大仏に献納した。この一巻もその一つで、『東大寺献物帳』所載の品である。本文は中国六朝隋唐の仏教に関する詩文140数首を抄録したもので、白麻素紙に楷書体で毎行18字、天地に横罫があり、全長30張の長巻である。奥書に「天平三年九月八日写了」とあり、天皇31歳の書である。書風は王羲之の『楽毅論』に通じ、褚遂良風とも言われる。なお、抄録された詩文は、いずれも中国ではすでに失われた詩文で、文学及び仏教資料的価値も高い。聖武天皇の自筆として確実なものは、他に静岡・平田寺の『聖武天皇勅書』中の「勅」の1字のみである。大聖武のページの著作権
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