集合論とパラドックス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:07 UTC 版)
エルンスト・ツェルメロ(1904)は任意の集合が整列可能であることの証明を与えた。この結果はゲオルク・カントールには得ることができなかったものである。ツェルメロはその証明を完成させるために選択公理を導入した。これは数学者と集合論の先駆者達の間の激しい論戦と研究を引き起こすことになる。即座に浴びた批判から、ツェルメロは自身の結果の第2の解説を出版した(Zermelo 1908a)。この論文は彼の証明に対する批判に直接対処するものであり、これによって数学界において選択公理が広く受け入れられることになった。 選択公理に関する疑念は最近の素朴集合論におけるパラドックスの発見により強化された。チェザーレ・ブラリ・フォルティ(1897)は集合論のパラドックスについて述べた最初の人である:ブラリ・フォルティのパラドックスは全ての順序数からなる集まりが集合を成さないことを示す。その直後に、バートランド・ラッセルは1901年にラッセルのパラドックスを、ジュール・リシャール(1905)はリシャールのパラドックスを発見した。 ツェルメロ(1908b)は集合論に対する最初の公理化を与えた。それらの公理にアドルフ・フレンケルによる置換公理を加えたものは今日ではツェルメロ=フレンケル集合論(ZF)の名で知られる。ツェルメロの公理にはラッセルのパラドックスを回避する為のサイズの制限の原理が組み込まれた。 1910年にアルフレッド・ノース・ホワイトヘッドとバートランド・ラッセルによる プリンキピア・マテマティカ の第一巻が出版された。この重要な著作は、関数と基数に関する理論を型理論の完全に形式的な枠組みの中で展開した。型理論はパラドックスを回避するラッセルとホワイトヘッドの努力のもとに開発されたものである。型理論の枠組みは数学の基礎理論として普及しなかったけれども(Ferreirós 2001, p. 445)、プリンキピア・マテマティカ は20世紀の最も影響力のある研究のひとつと見做されている。 フレンケル(1922)は選択公理が原子(英語版)付きツェルメロ集合論の残りの公理からは証明できないことを証明した。後のポール・コーエン(1966)による仕事は、(その証明には)原子の追加が不要であって、選択公理はZFにおいて証明不可能であることを示した。コーエンの証明は強制法の手法を生み、今日では集合論における独立性結果(英語版)を確立する為の重要なツールとなっている。
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