集合論の歴史とは? わかりやすく解説

集合論の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 07:53 UTC 版)

集合論」の記事における「集合論の歴史」の解説

ゲオルク・カントールによるフーリエ級数研究において、実直線上級数がよく振る舞わない点を調べ過程集合概念取り出された。彼はやがて有理数代数的数のなす集合可算であるという結果得て、それをリヒャルト・デーデキントとの書簡の中で伝えている。 そこでは実数についてもこれが成り立つかという問題取り組んでいること、どうやらそうではないらしいことが述べられている。それからわずか数週間で、彼は実数可算でないということについての証明を得る。その後、彼は数直線 R と平面 R2の間に全単射があるかという問題取り組んで3年にわたる研究の結果、それらの集合の間に全単射存在することを示した。彼はその証明伝えたデーデキントへの書簡の中で、有名な "Je le vois, mais je ne le crois pas"「私にはそれが見えるが、しかし信じることができない」という言葉書き残している。 実数集合の持つ超越的な性格同時代数学者一部のあいだに揺籃期集合論そのもの対す拒否反応巻き起こしたカントールの師レオポルト・クロネッカーによる否定カントール影響与えることになったツェルメロによって選択公理とその帰結としてすべての集合上に整列順序関係が入るということがはっきりさせられた。選択公理の意味するところやその妥当性についてはルベーグボレルベールの間の議論などに代表されるように数学者たちによる活発な議論の的となった一方でカントール頭を悩ませつづけた連続体仮説:「実数集合自然数集合次に大きい集合であるか?」は、クルト・ゲーデルポール・コーエン業績によってZFC公理系からは証明反証できないことわかった

※この「集合論の歴史」の解説は、「集合論」の解説の一部です。
「集合論の歴史」を含む「集合論」の記事については、「集合論」の概要を参照ください。

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