陸軍航空部隊の進出
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「ラバウル航空隊」の記事における「陸軍航空部隊の進出」の解説
もともと、陸軍には、明文化された協定はなかったが、陸軍の主戦場はアジア大陸方面であり、太平洋方面の作戦は海軍の担当という考えが強かった。ポートモレスビー攻略を目指す陸軍の南海支隊がニューギニア戦線で敵機の妨害を受けて苦戦中と伝えられ始めた1942年8月頃に天皇は陸軍航空部隊の南東方面での使用を下問したが、陸軍は派遣が困難であると答えていた。 第2師団を主力とする総攻撃が失敗したのちも、カ号作戦を実施するという陸海軍の方針に変わりはなかった。そのため、航空部隊の増強をはかる必要があり、海軍は陸軍に陸軍航空部隊の早急な派遣を要望した。陸軍参謀本部は、第8方面軍に対し、陸海共同して速やかにソロモン群島方面の敵航空兵力を制圧し、ガダルカナル島方面の作戦準備を行い飛行場を奪回するように指示したが、当時は陸軍の航空戦力はまだ進出していなかった。しかし、新編成される第6飛行師団の派遣が11月16日に決まり(同師団隷下の第12飛行団(隷下2個飛行戦隊)の一式戦闘機「隼」約100機の派遣を決定)、12月18日に陸軍の戦闘機部隊の第一陣(一式戦一型57機を装備する飛行第11戦隊)がラバウルに到着した。 当初の6飛師は主に第11戦隊(一式戦)・飛行第1戦隊(一式戦)・飛行第45戦隊(九九式双軽爆撃機)・独立飛行第76中隊(一〇〇式司令部偵察機「新司偵」。一〇〇式司偵の独飛76中は6飛師編成前の1942年10月に既にラバウル進出済)からなり、のちには飛行第14戦隊(九七式重爆撃機)、ニューギニアへ転戦後は飛行第208戦隊(九九双軽)なども加わる。
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