陸軍航空黎明期
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陸軍が航空を兵力としたのは明治時代からである。日露戦争で臨時編成の気球隊が一応の成果を収め、陸軍中央は電信教導大隊気球班を設け常設とした。1907年(明治40年)10月、気球班は気球隊に改編され交通兵旅団所属となった、これが陸軍における最初の平時編制の航空部隊である。気球隊は当時陸軍で技術性を最も重視する工兵科の一部とされ、陸軍航空は工兵の管理下で緒についた。 当時の欧米列強国では、気球と並行し飛行機の研究が進歩しつつあった。1909年(明治42年)5月、参謀本部第七課において川田明治大尉による「空中飛行器に関する研究」と題する世界の軍事航空を研究した調査報告書が提出された。これに着目した寺内正毅陸軍大臣は海軍大臣と合議のうえ、官界の委員を含めた飛行機および気球の研究機関を立案し内閣の承認を得た。
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