陸軍特務(諜報活動従事者)となるまで
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「吉薗周蔵」の記事における「陸軍特務(諜報活動従事者)となるまで」の解説
明治39年(1906年)に飛び級で宮崎県立都城中学校(旧制中学校)に入学したが、教えられる数学のレベルが低く他の教科にも興味が湧かなかったために10日間で退学してしまう。 その後、明治43年(1910年)に祖母のギンヅルが海軍大将の山本権兵衛と昵懇であったことから、特別に熊本工業学校の受験資格を得ることができたが、受験日の前日に友人たちと共に登楼して夜を明かしてしまい受験できずに終わってしまう。 熊本工業学校に入学ができず、地元に帰ることも憚って熊本でブラブラしていたところで、肥後国細川藩の薬事掛の家筋であった加藤邑と知り合う。加藤邑は、東大教授の呉秀三の優秀な弟子であったが、ハンセン病を患い地元熊本に戻っていた。 加藤邑の勧めで私立熊本医学専門学校を受験し合格したが、1年程通った辺りで知り合った女性と同棲した際に妊娠したので所帯を持つよう迫られたことに驚き、同棲先を飛び出し熊本医学専門学校も辞めてしまった。後にこの妊娠は偽装妊娠(綿子)であったことが発覚するが、この偽装妊娠をした女性は後に武見太郎と親密となり、更にその後参院選挙に出馬したという。 その後、祖母ギンヅルは遠縁の武者小路実篤の書生として周蔵を送り込むが馴染めず帰郷してしてしまう。 ギンヅルはさらに別の出会いを用意し、大正元年(1912年)に当時陸軍中将で陸軍大臣であった上原勇作と会う。いくつかの質問の後、上原から出た言葉は以下であった。 おまんに 草を頼みたか。こんおいに おまんの命 あずけてたもんせ。そいも 捨てるつもりで たのみもす。草いうもんは いつ どこで死ぬかも 知れもさん。そいも おまんの名前も 知られんと 無縁佛と なってしまう かもしれん。おいは今 軍に對して 一つの 太っかこつ せんならん と思うちょります。ほんまのこつ 云うと 陸軍は いま分岐点に きちょいもす。おいが 思うちょること 誰かがためしてくれて そいが うまかいったらこん日本の陸軍は 太っとか 軍になりもす。 後日、周蔵は上原の草になる事に決めた。
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